コメントも文学性が高い

『違国日記』は「喪失」や「孤独」というテーマとずっと向き合い続けており、それは欧米でも少なからずいる内向的な人々の心に深く届いている。

「『アニメ』というよりは、地に足の着いた人間ドラマ」「アイデンティティ、家族、そして癒しをめぐる彼らの葛藤は、並外れた繊細さで描かれている」「自閉症スペクトラム障害(auDHD)を持つ者として、この作品にとても共感します」といった言葉とともに、とにかく賛辞が並ぶ。詩的なコメント欄はそれ自体が一つの作品のようだ。

「『N・H・Kにようこそ!』(2006)以外でこのようなアニメに出会ったことはほとんどありません」とあるように、引きこもりをテーマとしたアニメ作品の文学性は、十分にグローバルに通じるのである。

「喪失を劇的に描くのではなく、その奇妙で混乱した余波、何も解決していないように感じられる不確かな日々、そしてほとんどお互いを知らない二人が、取り返しのつかない何かの影の中で共存する方法を学ばなければならない日々を、さまようように描いている」というレビューに私も強く共感する。

人間のとりもどしようのない感情、決して埋め合わせがあるものではないものというのは「さまようように」しか昇華に向かえないものなのだ。

デスゲームに求められている意外な要素

詩情を誘うという意味では、Membersで『違国日記』と同レベルの2→9万人と急増した『死亡遊戯で飯を食う。』も挙げておく。

なんとも表現しがたいが“日常系デスゲーム”とでもいうべき作品だ。登場人物全員がメイドの格好をした美少女で、淡々と殺しあいながらまるで日常会話のように生き延びる、「デスゲームの枯山水」のようなアニメだ。

本作は様々な発明がある。実はデスゲームで求めているのはほとばしる血や痛み、恐怖ではなく、その裏にある高度な心理戦だったりする。その「本質」のみを抽出し、防腐処理という名のもとに血は出ないし痛みを感じている様子もなく、そして全員が優雅なメイド服という“空前絶後”の設定にまとめている。

たしかにこうした抽出には、マンガやアニメという二次元化・抽象化のメディアは非常に優れている。

「アニメの雰囲気は驚くほど穏やかです。少女たちが危険にさらされていることは分かっていても、音楽や雰囲気はとても穏やかで落ち着いているため、深刻な出来事が起こっているにもかかわらず、「警戒」する感覚は引き起こされません。まるで『魔法少女まどか☆マギカ』の雰囲気、あるいは『蟲師』の雰囲気に『ソウ』や『イカゲーム』の雰囲気を混ぜ合わせたような感じです」というレビューが本作をうまく語っている。

「演出と芸術的な抑制が見事に融合した傑作」である。

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