代えがたいマンネリズムの快感

ま、これは相性ということもありましょうけれど、その後に生島治郎など、いわゆるハードボイルド小説をあれこれ読んでみたけれど、私のなかでは、やはり大藪春彦には一籌いっちゅうするというのが正直な感想でありました。

あのなんとも言えない、「いいのか、それで!」と思うような「ご都合のいい感じ」が、他の作者の書いたものでは味わえないのです。

大藪作品には良い意味でのマンネリズムが横溢おういつしていて、これはまあ『水戸黄門』や『遠山の金さん』のテレビドラマを見た時に感じる快感と同質のものでした。

これは、褒め言葉です。たとえば、映画の『スーパーマン』でも『ターザン』でも、結局ご都合主義的に物事を美しく解決してしまうでしょ? それが良いのです。

そういう一つのスタイルを作り上げたのが大藪春彦という作家で、私にとっては、余人を以て代えがたい名手であったと言うをはばかりません。

つまり、現実の世の中では、必ずしも正義は勝たないので、いやいやたいていは正義なんか通りはせず、結局悪が勝つというのが実際でしょう。だから、いくら正義を唱えても、悪らつな独裁者には敵わない。

孤独のヒーローの無双の真髄

そうした中で、大藪春彦の小説の主人公がターゲットとする悪は、いわゆる旧勢力の政治家です。

あくどく腹黒い商人が政治家と結託して、国を壟断ろうだんしている。そういう奴らが大豪邸に住んで、愛妾あいしょうを何人もはべらせて、というような「悪のスタイル」があって、それに対して『野獣死すべし』の伊達邦彦みたいな男が、いつもたった一人で立ち向かう。彼は常に孤独のヒーローなのです。

大藪春彦『野獣死すべし』
大藪春彦『野獣死すべし』1958年初版/大日本雄弁会講談社刊(画像=織原美津夫/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

そうそう、劇画世界でいえば、あのゴルゴ13というのが同質のヒーローですね(ですから、私は『ゴルゴ13』も大好きです)。

そして、彼は決して捕まらない。警察は無能の集団のように書かれていて、悪人を何人殺しても警察に捕まったりはしない。どこからそんな金が出ているのかわからないけれど、彼の周辺には当代のすばらしいスポーツカーやレーシング・オートバイや、精密無双の銃砲などがいくらでもある。

当時はまだ日本人は貧弱で小さな肉体を持ち、その意味ではとうてい筋骨隆々たる西洋人には敵すべきもなく、また当時の一般民衆は、今の日本人よりずっと平板で東洋的な風貌が脆弱な肉体の上に乗っているという風情であったのに対して、大藪のヒーローは誰も彼も、みな彫りの深い大変なハンサムで、鋼鉄のように強靱な肉体は、鉄砲で撃たれても死なず、負傷したとしても、自分で治療をするうちにたちどころに治ってしまったりする。

それこそ、どれもみなご都合主義ではあるけれど、いやいや、そこにこそエンターテインメントとしての小説の面白さが凝結していたと言って差し支えないのです。