クマ問題は「クマだけの問題」ではない
――過疎化や高齢化が背景にあるとなると、クマに対して対策するだけでは問題が解決しないように思えます。
そうですね。みなさん「クマ問題」とおっしゃるんですが、これは「クマの問題」ではありません。地方が抱える構造的な問題を、たまたまクマが表面化しただけなんです。
高齢化した集落では、昔なら収穫した柿を干し柿にしたり栗を出荷したりして稼いでいたのが、今では自家消費すらせずに放置されています。それがクマの誘引物になってしまう。被害に遭うのも高齢者が中心です。
そして出てきたクマを排除する人手も足りていないし、野生動物の問題に向き合う専門の人材も足りていません。今までは片手間でやってなんとかなっていたけれど、その限界を越えてしまった。秋田や岩手はもう目先の対応で精一杯です。一つの県でどうにかなるレベルではなく、国全体で考えなければいけないところまで来ていると思います。
日本がこの先30年、50年でどうしたいか、地方を切り捨てるのか、あるいはどうやって残すのか、それぐらいの課題が突きつけられています。
「かわいそう」と「すべて駆除せよ」の間
――2025年はクマに関する報道が過熱し、世間の関心もかつてないほど高まりました。日本におけるクマの捉えられ方は変わったと感じますか?
先ほど「世論が二極化している」と言いましたが、昔から「クマがかわいそうだから殺さないで」という人も「全部駆除してしまえ」という人もいたんです。ただ、どちらでもなくてフワッとしている中間層の人が多くて、だから極端な意見が目立ってなかった。
ところが、そうした中間層の人たちの中にも、昨年を通じて両極に寄ってしまった人はそれなりにいた印象があります。
片方は「全部駆除しろ」と言い、もう片方は「殺すな」「何十億円という税金をクマを殺すためだけに使うのか」と主張する。そしてどちらにも共通するのは、正しい情報にアプローチしようとしないことです。
――そうした状況を変えるには何が有効だと思われますか。
やはり中間層だった人たちを元の位置に連れ戻すということだと思います。その層はまだ情報を得ようとするし、ニュートラルな姿勢がある。そのためにいろんな媒体を使って発信し続けることも、私たち研究者の責任ではあるのかなと思っています。
――「かわいそう」でも全面駆除でもなく、クマと共存するためには何が必要なのでしょうか。
人間とクマが同じ時間帯・同じ場所に一緒にいることは絶対にできません。だから、適度な距離を維持する「すみ分け」が必要になる。そのためには、クマに対して常にプレッシャーをかけ続け、居てはいけないところのクマは獲り切ることが必要だと考えています。
油断すればクマはすぐに人間の領域を侵食してきます。今の状況はまさにそうして生まれてしまった。クマを森に押し戻す力をかけ続け、クマと人間の新たな関係を構築することでしか共存は成立しないのです。


