漂流者も宣教師も食い殺された
クックのあとに、さまざまな捕鯨者と白檀(ビャクダン)[熱帯性常緑樹]の貿易商を自称する男たちが続いた。彼らにとって先住民と取引をするのは簡単なことではなかった。
1847年に「ブリティッシュ・ソブリン」が沈没すると、乗組員は必死になって岸まで泳いだが、あえなく食い殺されてしまった。異文化交流は散々な出だしだったといえる。
だが、貿易商と新たに到着した宣教師はこの地にこだわりつづけた。彼らはプランテーションを始めるために、土地と自分たちの財産を交換しようとしたが、そもそもニ・バヌアツに土地の所有権という概念は存在しなかった。折悪しく、さらに宣教師が到着したが、またしても彼らは食われてしまった。
イギリス人たちが、苦労の割に得るものがないのではないか、と考えはじめたちょうどそのときに、フランス人がやってきた。超大国らしいきわめてけちな発想をするイギリス人たちは、「人食い人種の島であろうとなかろうと、かつての敵国に渡すわけにはいかない」とすぐに考え直した。
英仏政府公認の「無法地帯」
植民地主義は非難されて当然だが、同じくらい悪質なものがある。それは、「中途半端な植民地状態」だ。
ニューヘブリディーズは、好戦的な2つの帝国主義国の板挟みになった。いがみ合いが本格的な戦争に発展するのを回避するため、英仏はある協定を結ぶ。それは、群島を英仏共同の海軍委員会の管理下に置くというものだった。
要するに、この地は「適切な政府が存在しない無法地帯」とされたのだ。「中間にある」見捨てられた国のなかには、コスパイア共和国のように、自ら状況に対処し、繁栄するケースも存在する。
しかしニューヘブリディーズの場合、住人(先住民も入植者も含む)はこのことに特段の魅力を感じず、また敬虔な宣教師たちは、合法的に結婚できないことに失望していた。
そのため、エファテ島のフランスヴィル(現在のポートビラ)で、彼らは何らかの行動を起こそうと決意した。

