人の心を動かすものとは何か。2025年2月に93歳で逝去した作家・曽野綾子さんは「料亭でごちそうされても義理堅くなることはなかった。魂が動くほどおいしいものは別にあるからだ」という。没後に見つかった未発表原稿を収録した『自分らしく生きるということ』(河出書房新社)より、一部を抜粋して紹介する――。
皿の上のフォーク、ナイフ、スプーン
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作家と編集者は「持ちつ持たれつ」の関係

編集者が作家から原稿を受け取った時、それはへたな小説だとわかってるんです。だけどそれを言わないで、どこか1カ所探して、「いやあ、ここは結構ですねえ」と。

ということは、それ以外は全部だめですよということなんですが、そのようなことができる人間が減った。昔は大記者とか大編集者っていうのは、怖くもあったけどそのような姿勢もあった。今は、よくわかりませんけれども、もちろん若い方の中にも、ちょっと私の書いた原稿に添えてくださる文章が、これは育てるという気持ちがおありになるなと。年齢が上とか下とかではないんです。

小説家とマスコミにいらっしゃる方っていうのは、私は、と鵜匠、それからサル回しとサルの関係だと言っているんです。手をたたくのは鵜に対してだと思う。ちゃんとうまく潜っていって飲み込んでくる。あれは鵜匠の綱さばきがあるから鵜があるのです。

ただ、鵜がいなければ鵜匠も成り立たない。だから全くこれはイコールの持ちつ持たれつ。サル回しもそうです。はっきりそのことを編集者も作家も同時に知っていて、お互いにお世話になる、またこれも言葉じゃ言わない、お互いに恥ずかしいから知らん顔をしてますけど、ことに作家なんて図々しい顔をしているけれども、お互いの支え合いと感謝というものがないとやっていけない。これを間違えるとだめです。

大金をもらってもいい作品は書けない

私は、ゼネコンでたたかれるべきは、崩れるような構造物をつくる時だと思います。これはどうたたいてもいい。それはプロとして許されません。ロッキードの時もそうです。ロッキードを買って、ロッキードが悪い飛行機だったらたたくべきだったんです。でもロッキードが悪くない飛行機だったら、そんなに悪くない。

世の中には、どうしても汚職の部分はあると思う。なくてすむのは作家ぐらいです。これはなぜかというと、人の目があまりにも多いから。たとえば「さくら」っていう小説があるとするでしょう。これを普通のマスコミでいうとどこにレベルを置くかは別として、どんなに少ないものでも数100以上の読者が読むんです。

1人や2人ならなんとかいえちゃうんだけれども、橋と同じで、橋を渡るのは何億人、何10億、何100億、何1000億でしょう。そこまでいかなくとも小説もかなり多いんです。その人たちが勝手に好き嫌いをいう。だから時の流行は確かにあります。それから時の要求するエネルギーの波長に乗るか乗れないか、そういうものもあります。でも「あなたに原稿料1枚100万円あげますから」と言われても、いいものが書けるわけではない。

いつかもその話で笑ったんですけど、バイオリンとかピアノっていうのはいいものをあげた方がいい。全然違うでしょう。でも作家に、毎月1000万円あげるから、と言っても意味がない。