相手がしてほしいことだけをする

普通は忖度して、それがよくできた人というわけでしょう? 私、疲れちゃうからやめたのです。わりと早く。40代ぐらいから、もう忖度しなくなった。

その人がいいっていうことだけ、してくださいっていうことだけ、して差し上げよう、させていただこうと。私もしてほしい時には、直接言おうと思うようになりました。ですから、舅がそう言ったら、「ああそうですか」ということになったわけです。

とにかく、終戦の時から時が止まったのではないかと思うような老人の生活環境が続きました。それでも、「死ぬ、死ぬ」と言っていた姑が89歳で、舅の方が92ですから、とってもよかったんだと思います。

主人の姉の夫という人が、「ほっとくのがいいんだよ、いいんだよ」と言ってくだすったの。やっぱりそういう客観性がないと、もうちょっと家の中を整えるとか、「ああは言ってもこうしろ」となると、私も迷いますね。自分の親じゃないから。

ひび入りの茶碗が最後までそーっと、という感じだったんです。三浦朱門が書いているらしいんですけれど、2人とも管人間にせず、入院させないで我が家で、昔の人のように、だんだん食べなくなってある日死んだ、という感じです。

人ができることには限りがある

姑の方は私たちが旅行に行っていていない時に亡くなったのです。うちは交代で出ることにしていたのです。私が外国に出たら朱門がいる、朱門が出る時は私がいるというような感じで。

でもその時はたまたま両方とも外国に行く時でしたので、息子が夏休みだったので夫婦で来てくれていました。別に何というわけではないんだけれど、「元気? 生きてる?」なんて顔出して、「生きてらぁ」なんて言ってまた遊びに行っちゃうわけです。

ほんとうに元気だし、こんなに元気なのに東京にいたってしょうがないやと思ったらしいんです。それで妻子を連れて東北に遊びにいこうと急に思い立って、ここに12時に定時の連絡を必ず入れていた。「ばあさん元気?」と聞く、「お元気ですよ」と。

別に何もないので2時に盛岡のホテルに入って、「今晩はここに泊まります」っていうことでした。そして次に連絡場所を入れたら、「さっき亡くなった」と、そういうことだったのです。

私は息子に、それは人の力ではできないことであって、よかったのよ、と言ったんです。舅の方は、だんだん食べなくなっていって、最期の時は、私は「点滴すべきかな」とちょっと思ったのですね。ところがいいホームドクターで毎日来てくだすって、何かちょっと注射ぐらいしてくださった。