高市政権「“敵”認定」の弊害

立民のスタイルで顕著なのは、高市氏本人、もしくは高市政権を明確に「敵」としているところだ。衆議院解散のあと、野田佳彦代表(当時)が、「(公明党は)高市総理に一泡吹かせたい」と発言し、公明党が慌てて火消しに走ったことがあった。だが「高市総理に一泡吹かせたい」のは、立民の側の本音だったのではないかと有権者には見えてしまう。「口では『国民のための政治』と言いながらも、見据えているのは国民ではなく、与党なのではないか」。そう思わせてしまっている。

私がそう感じたのは、存立危機発言以降の立民議員の国会答弁である。

中国との関係が悪化し、多くの国民が、少なくとも中国との関係悪化は望まず、穏便に問題解決をしてほしいと願っているなかで、立民の議員はさらに高市首相に存立危機について、「発言を撤回しろ」と粘り強く詰め寄り、糾弾したのだ。これにはさすがに肝が冷えた。その過程でさらに高市首相の「失言」が出てきたらどうするのか。国際関係の悪化を招きかねない。重要なことは、高市政権や高市発言を糾弾することではなく、「国民のための政治をしている」と伝えること、そうした行動を見せることではないか。

党首討論番組欠席批判の“ダブスタ”

今回の選挙戦が終盤に差し掛かったころ、立民にとっておそらくマイナスに響いたと思うことが2つあった。

ひとつは、高市総理が選挙戦での事故による持病のリウマチの悪化を理由として、党首討論番組を欠席したことである。それに対して、多くの立民の議員が、「#高市逃げるな」とSNSで非難したのだ。午後から遊説には行っているのに、番組に出られないのは何事かと批判していた。

リウマチは、朝が特につらい病気であり、患者はその痛みが理解されないことをよく嘆いている。高市首相の「働いて、働いて……働いてまいります」発言を、過労死を招くものだと非難する一方で、病気を理由にした欠席を非難する。こうした「ダブスタ」は、若いひとが一番嫌うものである。病人という弱者の気持ちがわからない人たちだという感想を私も持ったし、ましてやリウマチ患者や医療関係者はどう思っただろうか。

たとえ、仮病かもしれないと思ったとしても、「お大事に。討論で質問に答えていただくことを楽しみにしていましたが、いまはまずご自愛ください」というのが大人のマナーなのではないか。「病気でも出て来い」というのは、ブラック企業のようである。そこは攻撃してはならないところであった。