傍系皇族にも活躍の場はある
旧皇族復帰と女子皇籍保持とを併せた結果として、皇族が逆に増えすぎてしまう可能性もあるのでは――と懸念する向きもあるけれども、かつての華族の役割までこなしてもらいたいくらいなのだから、少し多めに感じる程度のほうが個人的にはむしろ好ましい。
よほどの大人数にならない限りは、欧州のように「スリム化」を断行するまでもなく、皇室の長い歴史の中に、傍系皇族なればこそのお務めを見出すことができるはずだ。
古典『源氏物語』に「王命婦」というキャラクターが登場することが示すように、平安時代にまで遡れば、王や女王が朝廷・宮中に出仕した例が数多ある。皇居から旧華族の姿がほとんど消えたことを危惧する声もある今日、お側仕えなどをなさる皇族がおいでになってもよい。
「皇族が増えすぎてしまったら…」は今は考えなくてよい
思い浮かぶのが、明治32(1899)年に有栖川宮威仁親王が「東宮輔導」を拝命した例である。皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)を監督する全権を委ねられた有栖川宮は、時には御召馬車での行啓に自転車で供奉するなどして、精力的にその役割を果たされた。
大正天皇は生来ご病弱だった一方で、皇太子時代に朗らかなエピソードが多々おありだが、これは有栖川宮が自らも皇族であるがゆえに、「御学事ヲ第二」にするといった思い切った決断をできたことが大きかった。寛仁親王の理想は、こういう方が何名もいらっしゃることだったのだろう。
その有栖川宮家の祭祀を引き継がれた高松宮は、常々「みんな賢所の方のお祭りにはいらっしゃるが、ご陵の方にだれも行っていない。だれかがご陵の方にも行ったほうがいい」と仰っていたそうだ。
寛仁親王や高円宮憲仁親王などの皇族方は、そんな高松宮に感化されて「おじさまのあそばしてたことを継ぎたい」と歴代天皇陵を参拝なさるようになった。このことからも、やはり皇室の中にご意見番のような方がおいでになるほうがよい。
たとえ皇室がご繁栄になりすぎてしまったとしても、その対処は後からいくらでも考えられよう。今はとにかく、より多くの皇族を確保することを目指して、関係者各位には力を尽くしてもらいたい。
(初公開日:2026年1月9日)

