第4章:孫子の兵法で読み解く(III)――軍争篇・九地篇
「先を取る」ことで、相手から選択肢を奪う。
第3章で見た通り、中国の戦略は、戦場で勝つことではなく、戦う前に勝敗が決まる「形」を作ることにある。だが、その形が真に力を持つためには、単に有利であるだけでは足りない。相手がそこから離脱できない状態にまで持っていく必要がある。その段階を説明するのが、孫子の軍争篇と九地篇である。
孫子は軍争篇で、正面から争うことの愚かさを戒め、敵よりも先に有利な地点を確保することの重要性を説いた。「迂直の計」とは、近道を競うことではない。相手が気づく前に、勝敗を左右する地点を押さえることである。中国が行っているのは、この教えを軍事基地ではなく、資源・インフラ・規格に適用することだ。
リチウムやレアアースといった重要鉱物の権益確保、港湾や空港の長期運営権、海底ケーブルや送電網の敷設権。これらは一度押さえられると、数十年にわたって使われ続ける。後から奪い返すことは、法的にも経済的にも、そして政治的にも極めて難しい。中国は、争って勝つのではなく、最初の設置者になることで争いそのものを不要にする。これは地政学的な陣取り合戦ではない。未来の生活基盤を先に買ってしまう行為である。
軍争篇の恐ろしさは、先手を取られた側が、競争に参加する資格そのものを失う点にある。中国製インフラが導入された後に、米国や欧州の企業が参入しようとしても、規格が合わず、互換性がなく、乗り換えコストが高すぎて現実的な選択肢にならない。ここで重要なのは、中国が「排除」を命じていないことだ。構造そのものが、排除を自動的に生み出す。これこそが、軍争篇が示す「先を取る」戦い方である。
この先取りが一定の規模に達すると、次に現れるのが九地篇の世界だ。孫子は、戦争の終局において、敵を「逃げ場のない地形(亡地)」に追い込めと説いた。「投之亡地、然後存」。これは、敵を物理的に包囲することではない。選択肢を消すことである。

