誰からも見向きもされなかった「オニツカタイガー」
これとまったく同じ状況下から始まり、高級ファッションブランド「オニツカタイガー」を一から育て上げたのが、アシックス創業者の鬼塚喜八郎氏である。
いまや世界中に愛好家を持つオニツカタイガーだが、その立ち上げ時には誰にも見向きもされず、苦難の連続であった。
鬼塚氏は、この事業を軌道に乗せるためにどのような手を打ったのか? 2000年、氏が82歳の頃に行った講演の中でその方策が語られている。
どんな堅い板でも、錐で切り込んでいけば、小さくとも必ず穴は開きます。そのように特定の消費者が求めているものをマーケットリサーチし、その一点に集中して商品化していく。これが「錐モミ商法」です。
当時(1952年頃)、一般の運動靴は大手メーカーが多数の職人を抱え、全国に代理店を網の目のように張り巡らせていました。そのようなところに参入していっても私どものような零細企業はとても太刀打ちできません。
調べてみると、運動靴でも競技用となると専門メーカーはあまりありませんでした。なぜなら、市場が小さくて、あまりうまみがなかったからです。
しかし、私は逆に「これだ」と思った。山椒は小粒でもピリリと辛い。競技用シューズなら、「錐モミ商法」でなんとかやっていけるのではないかと思ったのです。
中小企業が生き残るための「差別化戦略」
ただ、競技用といっても、陸上競技、野球、テニス、バレーボールとさまざまな種類のシューズがある。その時、鬼塚氏が目をつけたのは、中でも一番難しいといわれる「バスケットシューズ」だった。
同じ苦労をするのなら一番難しいものから入っていって、とことん追究していき、自分のものにしたならば、ほかのものは簡単につくれるのではないか――。
そんな考えもあって、バスケットシューズという「錐」で市場に切り込んでいくことにしたのだという。
そして苦心の末にでき上がった試作品を、当時全国でも有数の強豪チームだった神戸高校女子バスケットボール部に持ち込み、練習が始まる午後3時には体育館に行って、球拾いをしながら、選手がどんなフットワークをしているのか、靴にはどんな細工が要るのかを徹底的に研究。
半年後に、滑りやすい体育館の床でも急ストップ、急スタートのできる国産初のバスケット専用シューズ「オニツカタイガー」をつくり上げた。

