稲垣家は熊本までついていった

セツがハーンの独り住まいに入った年(1891)の11月、ハーンとセツは、女中(およね)と車夫の4人連れで、中国山脈を越えて熊本に向かい、「小泉八雲熊本旧居」(現在は移築先にあり)に入った。稲垣家の万右衛門・金十郎・トミは、追って移住し、賑やかな家族を構成する。

なお、高木苓太郎が「士族の没落」の事態にって、「易経」の素養を生かして易者となり、各地を巡って、東京時代のハーンの家にも暫く滞在したことが、一雄の思い出として語られ、吹雪をやり過ごそうとして、木の下に立ったまま凍死する最期は、ハーンの筆によって描かれている。

神戸時代
写真提供=小泉家

養父はウサギ詐欺で財を失った

さて、セツがハーンの独り住まいに入る3年前、稲垣家は、鳥取の没落士族である前田為二を婿養子として迎え、セツに添わせている。セツは彼の浄瑠璃を喜んで聴き幸福だったのだが、稲垣家の養父金十郎、それ以上に養祖父の万右衛門が、彼を稲垣家の家風に合わせようと努めないではおれなかった。

現実は、と言えば、家を支える先祖代々の家禄も、明治8年に「奉還」され、その折に与えられた「家禄の六カ年分」は、「多産な兎に投資すれば儲かる」といった類いの誘いに乗って、先祖代々の屋敷と共に、失われていた。その上、借金まで抱えていたと伝えられている。