飛鳥時代から日本に広まった仏教。1400年あまりの歴史の間には僧侶たちの醜聞もたびたび起きた。仏教史についての著作を出した僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳さんは「江戸時代には僧が女性と関係を結んだ『女犯』の罪で死刑やさらし者になった事件がある」という――。

※本稿は、鵜飼秀徳『欲望の仏教史』(SB新書)の一部を再編集したものです。

延暦寺根本中堂
写真=Wikimedia Commons
延暦寺根本中堂、滋賀県大津市。2009年撮影(写真=663ハイランド/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

僧が女と交わるのはタブーだった

女犯にょぼん」とは、僧侶が女性と性的関係を持つことを指す。特に戒律を厳しく守るべき出家者にとって、最も重要な戒めである「十重禁戒」の一つとされてきた。女犯の罪を犯した僧侶は、死罪や流罪などの重罪を課されることもあった。だが、いつの時代も出家者の女性問題はなくならず、女犯を巡る記録には枚挙に暇がない。

比叡山延暦寺は、そもそも戒律に厳しい山岳修行の場であったが11世紀以降、僧兵の出現と同時に風紀の乱れが深刻化する。12世紀に成立した『今昔物語』には、しばしば女犯の話題が登場する。

「汝は前世の因縁により、某国某郡の某の娘と夫婦になる」(巻31第3話)

比叡山の阿闍梨あじゃり湛慶たんけいは密教に精通し、教養にも秀でた才僧として知られていた。ある時、湛慶は夢に不動明王が出てきて、「お前は前世の因縁によって、ある国の娘と夫婦になるであろう」とのお告げを受ける。

湛慶は、「私は戒を破ることなどできない。不動様が教えてくださった女を探し出して殺してしまおう」と、画策した。出会った女はまだ10歳ほどの無邪気な娘であったが、湛慶は欲望の芽を摘んでしまおうと考え、少女を襲って首を切りつけ、比叡山に逃げ帰ったのである。

数年後、湛慶が藤原良房よしふさの屋敷に参上した際、湛慶は欲望を抑えきれずにその妻と肉体関係を持ってしまう。女の首を見ると、深い切り傷があった。湛慶が女に尋ねると、「幼き頃、見知らぬ男がやってきて私の首を切りつけました。一命を取り留めた時の傷でございます」と言う。湛慶は、前世の因縁を感じて、夫婦の契を結んだ――。

欲望を抑えきれず藪の中で「女犯」

『今昔物語』にはほかにも、僧侶の女犯を描いた記述がある。

「修行者、人の家に行き、女主を祓いて死ぬる」(巻26第21話)

ある時、修行僧が托鉢に出て、猟師夫婦の家に入った。そこには夫を待つ女がいた。女に祈祷を頼まれた修行僧は、山に連れ出し、儀式を終えた。だが、女の美しさに欲望を抑えきれず、藪の中で強姦してしまう。その時、女の夫が戻ってきた。夫は藪の中で動く2人を、獲物と思って射抜いたところ、僧侶に当たって絶命してしまった。

『今昔物語』は説話であるものの、当時の仏教界の規律の緩みを反映しているともいえる。