光秀の城とそっくりな秀吉の城
天正元年(1573)9月に近江の浅井長政が滅ぼされると、秀吉はその功績を認められ、信長から浅井氏の旧領の支配を託された。しかし、浅井氏の拠点であった小谷城(滋賀県長浜市)は、琵琶湖から離れていることなどから避け、琵琶湖沿いの今浜にあらたに築城し、地名を長浜とあらためた。
この長浜城が坂本城とそっくりだった。やはり琵琶湖に面した平地に築かれた「平城」および「水城」で、堀には湖水が引き入れられ、本丸には天守が建った。また坂本城同様、時代に先がけて石垣で固められた。いずれも湖畔には、城を囲むように城下町が形成され、城下町を統率する拠点としても有効に機能した。
2つの城が築かれるに際しては、琵琶湖の水運を軍事的にも経済的にも最大限に有効利用しようという、信長の戦略的な意図が働いたと思われる。
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