田久保氏の「一貫している」姿勢

こうした彼女の論理が、いかに破綻しているのか。それなのに、なぜ多くの人が関心を持つのか。その点について私は、プレジデントオンラインで分析した(「なぜ人口6万人の伊東市長の『学歴詐称』が“祭り”になっているのか…東洋大学関係者だから気付いた根本原因」2025年7月11日午前6時配信)。

そのときから一貫しているのは、田久保氏が、みずからをあくまでも、どこまでも「被害者」だと考えている姿勢である。

せっかく現職を破って「ジャンヌダルク」として颯爽と登場したのに、あるいは、だから、そこに「怪文書」をぶつけられた。そんなかわいそうな自分は「被害者」でしかなく、市議会も「オールドメディア」も、そして、それらを支持する人たちもみんなひっくるめて「加害者」である。そんな見方を、田久保氏は、当選してから落選した今も持ち続けているのではないか。

7月7日に辞意を表明してから3週間あまりたった同月31日の記者会見もまた、そんな意識の賜物だった。冒頭で次のように「謝罪」していたからである。

記者会見場にならぶマイクの数々
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「原因が自分にある」とは絶対に言わない

私の経歴の一部につきまして、たくさんのご不安やご心配をおかけいたしましたこと、ご迷惑をおかけいたしましたこと、失望を招いてしまいましたこと、それから、大きな混乱を招いてしまったことにつきまして、あらためまして、この場をお借りして、深く心からお詫びを申し上げたいと思います。本当に申し訳ございませんでした(「【ライブ配信アーカイブ】7月31日(木)伊東市長会見 どうなる進退?」SBSnews6)。

「経歴の一部」と言えば、たしかにそうとれる。「東洋大学法学部卒業」は、彼女が伊東市の広報に記載した内容の「一部」とは言える。ただこの「謝罪」で重要なのは、決して自分のミスとも、あるいは故意だとも、何も述べていないところではないか。

ご不安、ご心配、ご迷惑、失望、混乱、とネガティブなことばを並べてはいるものの、それらの原因が自分にあるとは明言していない。それよりも、ここでも、あくまでも「怪文書」から続く、自分を「被害者」ポジションに置こうとする態度(だけ)は徹底していた。