子どもの知らないところで「太郎の様子はどうだ?」
幸せな家族、とはどういうものなのでしょう。人は親子、兄弟を演じ、学生、会社員を演じているにすぎないかもしれない――ある劇作家の言葉です。昭和の頃には、テレビでホームドラマをたくさんやっていて、「いろいろとすったもんだが起こるが、それを皆で悩んで乗り越える。これが幸せな家族だ」みたいなことがなんとなくわかったのではないでしょうか。でも今はあまり見かけませんね。
演じる、というのは少しおかしな表現かもしれませんが、演技をするにはそれらしい思いやり、配慮が必要だと思います。それは人間が成熟する、という意味に近いのかもしれません。現代は演技ができない大人が多いから、幼児性が見られる犯罪が三面記事を賑わすのではないでしょうか。
旧きよき日本の家族、それが幸せな家族だと思えます。お父さんはあくまで厳格。家族のために仕事に勤しむ。お母さんはそんなお父さんを立てて、献身的で優しい。そんなイメージです。
よく、「友達みたいな親子が理想の家族だ」なんてことを聞きます。厳しすぎる父親の反動なのかもしれませんが、どうもピンときません。
マザコン、マンチャイルド、指示待ち世代など、未熟な社会人を問題にする言葉は数多いようです。居心地がいいだけの甘い家族関係は、成熟しきれない大人を生み出す温床のようにも思えます。そういう家庭はとても脆いもので、居心地のよさは一転して異常を引き起こし、家庭内暴力や虐待など、殺伐とした事件も珍しくなくなってしまいました。
気持ちのよりどころであるはずの家庭が、恐ろしい場所に変わってしまうのは残念でなりません。