人間は、どうにか一人で生きていかなくてはいけない存在だと思います。それはなにも特別に難しいことではなく、皆がやってきていること、誰だってできることでしょう。旧きよき日本の家族は、そういう人間を育てていくことができたのではないでしょうか。

「おまえなら、やればできるだろう」といった基本的な信頼関係があり、べたべたと介入しない適度な冷淡さがあり、そしてなにか事件が起こったときに、逃げずに立ち向かうといった責任感がある。どこか毅然とした空気が昔の日本の家庭にはあったと思います。

そういう家庭の父親は滅多に子どもを褒めません。ですが、子どもが頑張って目標を成し遂げたときにはきちっと讃えくてはいけない存在だと思います。それはなにも特別に難しいことではなく、皆がやってきていること、誰だってできることでしょう。旧きよき日本の家族は、そういう人間を育てていくことができたのではないでしょうか。

「おまえなら、やればできるだろう」といった基本的な信頼関係があり、べたべたと介入しない適度な冷淡さがあり、そしてなにか事件が起こったときに、逃げずに立ち向かうといった責任感がある。どこか毅然とした空気が昔の日本の家庭にはあったと思います。

そういう家庭の父親は滅多に子どもを褒めません。ですが、子どもが頑張って目標を成し遂げたときにはきちっと讃えてくれる。もうちょっと褒めてやってくださいな、などと母親が言うのですが、父親はもう口を結んで仏頂面で新聞を読んでいる。でも実は、子どもの知らないところで、「太郎の様子はどうだ?」などと母親に聞いていたりします。

幸せな家族関係を取り戻す、ということなら、とりもなおさず父親がしっかりとするべきでしょう。

あくまで厳しく強く、理不尽なことで怒鳴ることもある。それで子どもたちに嫌われるようなことになってもビクともしない。そうあってほしいと思います。フォローは母親の役目。父を立て、家族を包み込むように優しく大きい。間違っても父親の悪口は言ってはいけません。子どもたちの愚痴を聞いてやり、多少は溜飲を下げさせ、「お父さんは言葉は悪いけれど、言っている内容は正しいのよ」などとピシャリと諭す。そんな親がいれば、自然といい家族になっていくのではないでしょうか。

そういえば、白戸(ホワイト)家は旧い日本の家庭に近いのかもしれません。まあ幸せな家族だと言えるようです。

(中津川祐見=構成 『白戸家のお父さんのヒミツ』(ソフトバンク クリエイティブ)=写真提供)