なぜ一転して、「謝罪」したのか
12月9日夕方、旧統一教会の田中富広会長による辞任の会見がありました。会見席では田中会長が一人で座り、いつも横にいた信者弁護士や幹部が不在で、「これまでの会見とは違う」という印象を持ちました。
2022年夏の安倍晋三元首相の銃撃事件以来、旧統一教会による霊感商法や高額献金の被害実態、政治家への工作などが明らかになり、公の場に出て釈明や弁明を行ってきた会長だけに、辞任に際して、どのようなことを話すのか。その言葉に注目が集まりました。
冒頭で会長はこう言って謝罪をしました。
「今なお被害を訴える方々がいらっしゃることに対する道義的な立場からです。私たちの活動が一部の方々にご心痛を与えたことは決して軽視できません。会長としてその事態を真摯に受け止め、社会からの信頼回復に向けた一歩を踏み出すためにも決意いたしました。改めてお詫びさせていただきます」
以前の会見では、「謝罪という言葉には、距離を置いている」などと話して「おわび」であって「謝罪でない」という論理を展開していましたので、今回は、被害を訴える人に対して、明確に謝罪しており、前進はあったといえます。
組織としての謝罪は拒否
しかし一番注目していた教団が組織的に引きこしたことによる被害への謝罪なのかを問われたことに関して、「教団の会長としてのお詫びです。したがって、組織的責任をどこまで背負うか。今、裁判がまだ継続しているので、あまり組織論だけで、これを私が簡潔に述べきることはちょっと難しいかなと思っております」と明確な言及を避けました。
旧統一教会の教義では、メシヤのいる韓国をアダム国家(父親の立場)として、日本はエバ国家として、母親の立場でお金や人材面で支える国として存在するとされています。韓国本部からの指示や命令は絶対で、それに反する行為は許されません。
信者らへの多額の献金のノルマの指示が長年続き、安倍元首相を銃撃した山上哲也被告の家庭にみられるような、高額献金による家庭崩壊が次々に起きました。そのため、今の一世信者の多くは多額の献金をしたために貯金もなく、経済的に先がまったくみえない状況です。何よりその元で生活してきた宗教二世たちは心身ともに相当な苦しさやつらさを感じてきました。
こうしたことは当然、会長自身も銃撃事件前から知っていたずです。内部事情を知る筆者(元信者)として、それに対する明確な答えがなかったのは、非常に残念です。

