【三浦】これは豪太が覚えていたんですけど、75歳で登った前回、7000メートルのC3を出て登り始めたときに、「豪太、いいアイデアがある。80になったらもう1回登ろう」と僕が言ったらしい。豪太は唖然としたそうです。
【大前】前回は豪太さんが体を壊して、途中で下りたんですよね。
【三浦】高山病がひどくなって、肺水腫と脳浮腫になりましてね。医者に言わせると、そのままなら130%死んでいた。あのときは運よく、御先祖様から豪太に「おまえ、そこから下りないと死んでしまう」「今すぐ下りなさい」とお告げがあったそうです。
豪太はデキサメタゾンというステロイドを、右半身は全く麻痺していましたから、左手1本で太ももの上から注射して、それで意識が戻ってきた。
高山病というのは山を下りれば酸素が増えるから回復する可能性がある。ということで、頂上をあきらめて、シェルパを2人付けて下りたんです。今回、僕が両手両足でやっと下りた氷壁を、前回、豪太は左手、左足だけで6時間ぐらいかけて下りたんですが、やっぱり神の、ご先祖様の助けがあったから生還できたんでしょう。
【大前】今回は親子ともども無事に頂上に立った。見事にリベンジを果たしました。
【三浦】今回は僕のほうが危なかった。だけど、ここでは絶対に死ねない、と。生きる執念といいますかね。時間を倍かけても3倍かけても安全に生きて帰ろうと思っていたので、無事に帰れました。
【大前】70歳のときも、75歳のときもすごいと思いましたけど、今回、80歳のギネス記録ということで、周囲のリアクションが全然違いましたね。
【三浦】想像以上でした。
【大前】世界中のニュースで「日本の登山家」の偉業が流れました。いつのまにか冒険家が登山家になってましたけどね(笑)。日本中どこに行っても、「三浦さんみたいにやらないといけない」という反応だったでしょう。やっぱり80歳というインパクトですか。
【三浦】不思議ですよね。たった5年しか違わないのに。やっぱり高齢化社会では70代は普通で、80歳でやっと高齢者の入り口に立ったという感じなんですかね。
【大前】4回目の成人式ですから(笑)。