個人的にぶっちぎりで一番キモい詩
「アステール」というのは古典ギリシア語で「星」という意味なのだが、同時にプラトンの想い人の少年の名前でもある。だから最初の「星」は掛詞(かけことば)になっている。問題は、そんなステキな技巧を凝らして詠んだ内容が心底しょうもないということである。
「お前は星々を見ているなあ。空になって見つめられたいし、私も星という空がもつたくさんの目でお前をジロジロ眺められるのに」ということである。この解説を書いているだけでちょっと鳥肌が立ちそうになったくらいキモい。
もうひとつ、古代ギリシアのしょうもない恋愛詩を紹介しよう。紀元前の古代ギリシアには、アナクレオンという詩人がいた。この人は有名人なので、アナクレオンの名を騙って同じような作風の詩を作る人が出てきた。さすがに後世の専門家の目は騙せず、なりすましがバレてしまっているのだが、そのような今となっては「よみ人知らず」の詩も『アナクレオンテア』という作品集としてちゃんと残っている。色々な詩があるのだが、その中でも個人的にぶっちぎりで一番キモいと感じるのがこの詩である。
日本でも同じようなヤバい詩が…
「さすがは哲学の土地ギリシア、ラブレターの内容もぶっ飛んでいる! それにしても、こんなものを現代まで伝えてしまうなんて信じられない!」と思うかもしれない。
ところが、実は我らが日本の古典である『万葉集』にも、同じような内容のよみ人しらずの歌が収録されている。
「かくばかり 恋ひつつあらずは 朝に日に 妹が踏むらむ 地にあらましを」(巻一一・二六九三)
※『万葉集』小島憲之・木下正俊・東野治之(校注・訳)『萬葉集(3)』(新編 日本古典文学全集 8)(小学館、1995年).
現代語に直すと、「これほどまでに恋焦がれていないで、朝に昼に彼女が踏むであろう地面になりたい」ということである。先程のギリシア語の歌ほどの圧倒的な描写のキモさはないが、こちらもこちらでしょうもない歌であることに変わりはない。
もちろん、こんなしょうもないことを歌にしてしまう人は圧倒的に少数派だろう。しかし、こんな歌を『万葉集』に収録して、古典として現代まで継承しているという点では、日本もギリシアも同じなのである。

