なぜ“素人”の八雲が教師に選ばれたのか

対する八雲は、新聞記者として経験を積み文学の才能はあったが、教師としてはズブの素人であった。タットルを教師としての質が悪いからと解雇しているのに、次に招いたのは文部省からの推薦があるとはいえ、教師なんてやったこともない人物である。しかし、西田らがこれを心配していた気配は史料からは見られない。

教頭である西田は、英語も堪能だったので八雲の才能もすぐに見抜いたのであろう。なにより、自身も大学には進めず苦学して英語を習得し、4つ教職の免状を受けた人物だから、なにか通じるものがあったのだろう。

八雲が松江にやってきた当日、1890年8月30日の西田の日記には「本年4月初めて日本に来たり日本事情掘削に力を尽くせり。割合によく日本の生活に慣る」とある。前任のタットルは生徒からも「金儲けのために来ているという印象が何時もあった」と評されるような人物だったから、日本文化に馴染もうとする態度を見せている八雲には最初から期待できると感じていたのだろう。