憲法制定時の情念・理想と人事が直結

「クーデター的」とも評された長官人事。固く守られてきた慣行を破ったことが、先々に吉と出るか、凶と出るか。(PANA=写真)

「(法制局の)長官ポストは特別職の公務員で、建前上は内閣に人事権がある。しかし、現実には内部昇格者が自動的に内閣によって任命されている。次期長官は現次長で確定しており、次の次の長官は現第一部長にまちがいない」

「この“あがり”のすごろくは法制局が1952年に再び置かれて以来、破られたことはない」(西川伸一『知られざる官庁 内閣法制局』5月書房)

この書籍が刊行されたのは2000年のことだが、その後もこの慣行は踏襲されていた――安倍首相による、小松大使の起用までは。

1952年に法制局長官だったのは、佐藤達夫である。その佐藤が始めた人事慣行が、その後もずっと守られてきたということは、佐藤が歴代の法制局長官を間接的に選んできたのとさして変わりがない。憲法制定時の情念・理想と直結しているのである。法制局がただの内閣の法律の助言者という役割を超えて、憲法の番人として機能してきた由縁だ。

安倍総理は、総理大臣の人事権を何の躊躇もなく行使することで、その連鎖を断ち切ってしまった。株価が下がり始めた以上、安倍内閣がこの後さして長持ちするとも思えないが、安倍氏が戦後憲法体制の「支柱」の1本をへし折ったことは、ほぼ間違いない。法制局長官の憲法の番人としての重みは、これで永遠に失われてしまったのである。後世、戦後日本の破滅への第一歩となったと言われないよう、祈るばかりである。