安倍内閣の大番頭、菅義偉官房長官に派閥旗揚げの噂が囁かれている。根拠はある。7月4日の参院選告示日の前後に、菅氏は自民党の1~2年生議員ら20数人と極秘裏に懇親会を開いていたのだ。
「懇親会に参加したのは、昨年暮れの衆院選挙で初当選した神奈川県選出の1年生、2年生議員らを中心にした自民党の若手。無派閥の議員が多いことから“菅氏が菅派結成に向けて動き始めた”と永田町で憶測を呼んだのです。参加者は口どめされているが、菅氏本人は親しい人物に“確かに若い議員と酒を飲んだ”と認めています」(自民党関係者)
菅氏は無派閥ながら、安倍首相の側近中の側近として内閣を取り仕切り、霞が関の官僚にも睨みをきかせる。経済産業省の事務次官に、局長未経験の立岡恒良官房長を抜擢したのも菅氏だといわれる。
かつての大物官房長官、梶山静六氏や野中広務氏の周囲に自然と人が集まったのと同様、菅氏の周囲にも若手議員らが結集しつつある。
「自民党の若手の中には、以前から“菅氏は派閥をつくるべきだ”という菅派待望論がありました。菅氏は、第一次安倍政権でも総務大臣として入閣し、安倍氏を支えた。若手の中には、菅氏を安倍改革路線の継承者と期待する声がある。彼らは将来的には、神奈川選出の小泉進次郎青年局長を首相にしたいと考えているが、菅氏はその進次郎氏とも近い。ある若手代議士は“もし菅派をつくってくれたら自分たち若手の意見を政治に反映させられるのではないか”と話していました」(全国紙政治部デスク)
菅氏は法大卒業後、代議士秘書や横浜市議を経て1996年の総選挙で初当選。叩き上げの苦労人で、98年の自民党総裁選では派閥を脱会して剛腕として知られた梶山氏を応援した。梶山流の剛腕を受け継いた菅氏は第1次安倍政権で初入閣。今や押しも押されもせぬ大物官房長官として君臨している。
「実力者の階段を上るにつれ、菅氏にも“いずれ自分が総理に”という欲が出てきたはず。だが無派閥だと自民党総裁選に出馬するのも難しいので準備を始めたのでは。菅氏はブラック企業経営者と批判されていた渡邉美樹・ワタミ前会長を参院比例代表に押し込み、当選させたが、これも“菅派旗揚げのときのスポンサーづくりが目的では”と囁かれています」(前出・自民党関係者)