NHKの朝ドラ「ばけばけ」では、小泉八雲をモデルとするヘブン(トミー・バストウ)が松江で英語教師を務めるシーンが描かれている。なぜ八雲は松江に来たのか。ルポライターの昼間たかしさんが、その史実をひもとく――。
ラフカディオ・ハーンの肖像
ラフカディオ・ハーンの肖像(写真=『The World's Work』/PD US/Wikimedia Commons

小泉八雲は“特派員”として来日した

朝ドラ「ばけばけ」(NHK)は第5週に入り、小泉八雲をモデルとするヘブン(トミー・バストウ)が久しぶりに登場した。視聴者の多くは「小泉八雲は、いったいなぜ松江のような地方都市にやって来たのか」と疑問に思っているのではないだろうか。

『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 ばけばけ Part1』(NHK出版)
『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 ばけばけ Part1』(NHK出版)

実は、そこに至る過程には無計画なバックパッカーのようなトラブルの積み重ねがあった。

小泉八雲がバンクーバー経由の汽船で横浜に到着したのは明治23年4月4日のことであった。この時、八雲はアメリカのハーパーズ・マガジンの特派員(あるいは通信員)という肩書きを持っていた。ハーパーズ・マガジンは、これ以前に八雲が西インド諸島に滞在した際の紀行文を掲載してからの付き合いだが、関係はあまりよくなかった。

日本行きは念願であり、船賃を出してくれたハーパー社には感謝していたかもしれないが、来日した途端にそんな気持ちは吹き飛んだ。

というのも、彼は一定期間滞在して紀行文を書いたら帰国するつもりで契約をしていた。ところが、横浜についてみると話はまったく違った。同行する挿絵画家のチャールズ・ウェルドンが八雲の文章に絵を添えるのかと思っていた。

日本に到着するも“所持金が3カ月しかもたない”

ところが実際にはその逆で、挿絵画家が描いた文章に、八雲が文章をつけるというのだ。おまけに、挿絵画家の報酬は八雲よりもずっと多かった。なによりハーパー社は船賃は出したが滞在費などの経費を払うつもりがなかった。

売れない中年作家であっても自尊心が強かった八雲にとっては屈辱である。八雲はすぐに契約を解消する手紙をハーパー社に送りつけた(広瀬朝光『小泉八雲論 研究と資料』1976年)。

この時八雲が持っていたのは、250ドル。全額を日本円にして当時の為替相場で250円ほど。現在の貨幣価値で約600万〜650万円になる(『日本銀行百年史 資料編』日本銀行 1986年)。かなり手持ちがあるように見えるが、当時、外国人が日本に滞在する場合の滞在費は高額だった。

横浜の外国人居留地にあった横浜グランドホテルの滞在費は、一月あたり2食付きで58ドルとされている。八雲が滞在した宿は、これよりも安価だったようだが、それでも外国人が泊まれる宿は限られており、宿泊費が高額だったと考えられる。つまり、諸費用も含めれば、もって3カ月程度……八雲は、異国の地でいきなり詰んだのである(永田雄次郎「ラフカディオ・ハーンと石仏の美:横浜から熊本までの時」『人文論究』第61巻4号)。