中学校では首席だったが中退、26歳で教頭に

この後も、県庁や学校関係などの宴席によく顔を見せた。人見知りで気難しい男が、変われば変わるものだ。

松江でのハーンが明るく社交的になったのは、いつも側で気にかけてくれた西田の存在も大きかった。本名は西田千太郎せんたろう。父祖は松江藩の足軽身分、文久2年(1862)に大橋川南岸の雑賀さいか町に生まれている。