予想外の結果だった国民投票

現地時間2019年3月29日午後11時に迫った、イギリスのEU離脱(ブレグジット)。イギリスはもちろんEUにも多大な影響を及ぼすことが予測されているが、テリーザ・メイ首相がEU側と協議をしたすえにまとめた離脱案が1度は大差で否決されるなど、期日直前になっても迷走が続いている。なぜ、このような事態になってしまったのか。

EU離脱合意案が英下院で否決された直後、発言するメイ首相。(AFP=時事=写真)

そもそも、今回のEU離脱を決めた16年の国民投票が、いわば想定外の結果だった。少なくともイギリスの政治家で、本当に離脱することになると考えていたものは、離脱派・残留派を問わずほとんどいなかったはずだ。

当時の保守党政権で首相を務めていたデーヴィッド・キャメロンはEU残留派だったが、EU内で旧東欧圏からの移民急増が大きな政策課題となる中、人の移動の自由について一定の制限を認める譲歩をEUから引き出そうと考えていた。そこで、国民投票を実施してEUに懸念を持っている自国民がこれだけいる(事前の世論調査では、残留派が離脱派を上回っていた)ということを示し、それをEUとの交渉材料に用いようとしたのである。また、保守党の一部政治家たちは、離脱キャンペーンの先頭に立つことで存在感を示そうともくろんでいたふしがある。実際、離脱後の具体的な制度設計について離脱派はほぼノープランだったし、離脱すれば実現できるとしていた公約にも実現不可能な空手形が多かった。

はたして彼らの思惑は外れ、国民は52%対48%の僅差でEU離脱を選択した。キャメロン首相辞任を受けて行われた保守党の党首選挙では、本来先頭に出るべき離脱派の政治家が次々と戦線を離脱。結局自らは残留派だったメイ前内相が、火中の栗を拾う形で、民意として示されたEU離脱を実行していくことになった。

その後、離脱までのプロセスが迷走した大きな理由は、離脱派が掲げていた公約の中に、EUのルール上実現する可能性がないものが含まれていたためだ。たとえば、国民投票であれだけ論点になった以上、人の移動に何らかの制限を加えるという公約だけは実現したい。だが、EUは単一市場の「4つの移動の自由」(財・サービス・資本・人)の切り離しを認めないとしており、人の移動を制限すれば、EU市場へのアクセスも制限される。離脱派が主張した「いいとこどり」はできない。