今年3月、22年続いた人気番組『めちゃ×2イケてるッ!』が終了した。熱心なファンがいたにもかかわらず、なぜ生き残ることができなかったのか。お笑い評論家のラリー遠田氏は、「『めちゃイケ』の根底には“青春”感があった。だが20年以上たって出演者が大人になり、視聴者側がそこに思い入れを持てなくなってしまった」と分析する――。

※本稿は、ラリー遠田『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論 』(イースト新書)の第1章を再編集したものです。

『めちゃ×2イケてるッ!』公式ホームページより。

『めちゃイケ』は青春番組として始まった

『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)はなぜ終わってしまったのか。この問いに答えるためには、そもそも『めちゃイケ』とはどういう番組だったのか、というところから考える必要がある。

『めちゃイケ』という番組のコンセプトをひと言でいうと、ナインティナイン・岡村隆史の言葉を借りて「青春」と表現するのがふさわしい。『めちゃイケ』はそもそも、「何も持たない若者たちの逆襲」というようなコンセプトで始まった。『めちゃイケ』がスタートした当初、ナイナイ以外のレギュラー陣はほとんど無名に近い状態だった。

吉本芸人のアイドルユニット「吉本印天然素材」の一員として人気のあったナイナイですら、上の世代のとんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンに比べれば、格としては何枚も落ちると思われていた時代だ。この番組ではナイナイだけを特別扱いせず、あくまでもレギュラー全員を平等に扱った。彼らは番組最後のスタッフロールでも「おだいばZ会」というくくりで紹介され、番組内では「めちゃイケメンバー」と呼ばれていた。

岡村隆史が体現した『めちゃイケ』の流儀

すでにテレビのスターだったダウンタウンやとんねるずが、それぞれの強烈な個性を生かして自分たちの番組をつくっていたのに対して、キャリアが浅いめちゃイケメンバーは「チームとしての一体感」を重視していた。それを別の言い方で表現すると、「青春」ということになる。何も持たない若者たちが、その若さだけを武器にして全力でぶつかることを番組のコンセプトにしたのだ。格落ちの寄せ集めメンバーがゴールデンタイムの「土曜8時」で戦うためには、それ以外に方法がなかった。

そんな『めちゃイケ』の流儀を体現していたのが岡村である。岡村は、多くの企画で中心的な存在となり、体を張って困難に立ち向かっていった。「オファーシリーズ」では、芸人離れした身体能力を買われて、ひたすらダンスやパフォーマンスの腕を磨き、アイドルのライブに乱入したりした。岡村の奮闘が多くの視聴者を巻き込む熱狂を生み出した。

『めちゃイケ』の前身となったのは、土曜の深夜に放送されていた『めちゃ×2モテたいッ!』である。ゲストをスタジオに招いたトークコーナーと、岡村がさまざまなスポーツの難しい技に挑戦したりするロケコーナーが番組のメイン企画だった。豊富な素材を30分番組に凝縮させたようなつくりで、テンポが良くて面白い番組だと私は思っていた。