国民的スター・嵐の誕生前夜

思えば“国民的スター”嵐も、2001年に、大手レコード会社との契約を終了し、ジェイ・ストームからインディーズ的な再出発を図っている。その第1弾となった『a DayinOurLife』は、ドラマ『木更津キャッツアイ』の主題歌でありながら、サビ以外がほぼ全編ラップ詞のHIPHOPで、ジャケットにメンバーの顔がプリントされていないコンセプチュアルなものであるという尖った姿勢のものだった。先の『ピカ☆ンチ』もこの時期だ。

今年、13年ぶりに松本潤が舞台に出演したことが話題となったが、2004年から2006年にかけては毎年舞台に出演していた。2004年には大野智と櫻井翔が『WEST SIDE STORY』というジャニーズ事務所の原点にあるようなミュージカルに出演。その後、それぞれZEEPや品川ステラボールという今では考えられない収容人数の少なさの会場でソロコンサートを開催したのは本書の前半で記述したとおりである。

相葉雅紀も2005年に東京グローブ座の舞台で主演。二宮和也も2004年・2005年と連続で舞台に出演し、そして2006年には『硫黄島からの手紙』が公開されている。

インディーズ的な出発を図った2000年代前半のこの時期、CDセールス的には低迷していたが、それぞれに芸事の研鑽を積んでいたのである。

「この人、ジャニーズだったんだ!」

ファン以外がジャニーズの魅力に気付いたときに発せられる言葉に「この人、ジャニーズだったんだ!」というものがある。“ジャニーズアイドル”を色眼鏡で見ていた人たちが、何かの作品を通して彼らの仕事に触れ、その魅力に気付いたときに、意外だったという意味で出てくる言葉だ。この頃の嵐は、色々な場所で「この人、ジャニーズだったんだ!」を多発させていたと言っていいだろう。

“ジャニーズアイドル”とは縁遠かったカルチャー誌にも登場し、ポップカルチャーのひとつとしても注目が集まり始めたのがゼロ年代前半の嵐であり、それが“国民的スター”になる前夜だったのだ。

犬童一心監督 『黄色い涙』

象徴的な作品がひとつある。『黄色い涙』は嵐のメンバー5人の主演映画だが、もともとは70年代に放送された市川森一脚本のドラマだったものを、当時『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)や『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)といった単館系の映画で注目を集めていた犬童一心監督の希望で映画化したものだ。

音楽を手掛けたのは星野源がリーダーを務めていたバンド・SAKEROCKという、当時の通好みの座組みである。公開は2007年の4月だ。

2007年4月というのは、1月に放送された松本潤出演の『花より男子2』と7月に放送された二宮和也と櫻井翔主演の『山田太郎ものがたり』という2本のヒットドラマのちょうど間の時期である。

ちなみに、『花より男子』自体が、実は他の人気漫画原作のドラマの企画がなくなったことで急遽作られたという“偶然”の産物でもある。