「理想の家族の姿」だった
まず1989年9月の、秋篠宮さまと紀子さまの婚約は、好意的に受け止められた。同年1月にお亡くなりになった昭和天皇の喪中だったが、暗い雰囲気を吹き飛ばすような「キャンパスの恋」であった。
紀子さまは「3LDKのプリンセス」と呼ばれたが、なるほどプリンセスと呼びたくなるような可憐ないでたちに、「なんと素敵なひとなのだろう」と私もため息をついた。バブルの狂乱のなかで、ご実家は学習院大学の職員宿舎。テレビもないという、おっとりとしたたたずまいは新鮮であった。近くのスーパーでの買い物帰りに、大根をのぞかせた買い物袋を持つ姿、質素な服装でジョギングをする姿には親近感をもった。
将来の天皇即位という重圧を一身に受けながら育った皇太子さま(現在の天皇陛下)とは対照的に、次男として育った秋篠宮さまは、自由な解放感や明るさを感じさせた。そして当時、皇太子妃がなかなか決まらなかった時期には、「弟の秋篠宮妃である紀子さまがあまりに完璧すぎるから」という記事もあったと記憶している。皇太子さまは「(皇太子妃は)紀子さんと仲良くしてくれるひとがいい」といったと伝えられたこともある。このあたりは、理想の家族のモデルとして皇室があった、とてもほのぼのとした時期であった。
「皇太子さまのご結婚」でバランスが変化
しかし、1993年に雅子さまが嫁がれてからは、バランスが変わらざるを得なかっただろう。誰が悪いわけではないし、一般家庭と重ねるのは失礼である。しかし、すでに1991年には次男の家庭(秋篠宮家)に孫が生まれており、その孫を中心に家族の雰囲気ができているところに嫁ぐのは、「長男の嫁」としては居心地が悪かったのではないかと、女性なら思うのではないだろうか。
また、すぐにお子様に恵まれていれば、そのような順序はどうでもよくなる。しかし、愛子さまが誕生されたのは、ご結婚から約8年後の2001年。いいかたはよくないが、その状況は昼ドラなみの「ドロドロ」をイメージさせるものがあり、無邪気に週刊誌報道を楽しめる雰囲気ではなくなった。