14歳で新宿にたむろするように
初めて一人で新宿へ行った。西口広場は若者であふれていた。知らない人たちに囲まれて、私は大声で反戦歌や革命家を歌った。連れて行かれたメーデーや、家に来る父の仲間たちが歌っていたから、どの歌もよく知っていた。「いくつ?」と聞かれ、「14」と答える。みな驚いたような顔をする。自尊心をくすぐられた。
何度か新宿に足を運び、知り合った中学生から、「全国中学生共闘会議」を立ち上げるからと言って誘われた。当然、参加すると答えた。家庭にも学校にも馴染めなかった私は、初めて仲間と呼べる人たちと出会えたような気がしていた。
高校受験。私は、公立高校の入学試験に落ちた。補欠だったと嘘をついた。すぐにバレた。母は泣いていた。結局、私はランクが下がる私立高校に入ることになった。入学金が高かったせいで、父と母は「お前のためにいくら金を使ったと思っているんだ」と言って、ことあるごとに私をなじった。情けなかった。
入学したのは、「自由や自主性を重んじる」が謳い文句の高校。私服通学が許されていた。だが私は、唯々諾々、喜んで私服を着て行く気になれず、中学のときに着ていた制服を着て入学式に出た。どこまでも反抗的なへそ曲がりである。
高校を中退し、15歳で家出
高校は電車で一駅のところにあったが、私は、多摩丘陵の林のなかを一時間ほど歩いて通うことにした。途中、牛がいたり花が咲いていたりする。そのたびに私は立ち止まり、牛を眺めたり、花の匂いを嗅いだりする。当然、遅刻。
入学して15日目。私はとうとう高校に行かなくなった。ぐずぐず歩き、始業時間よりかなり遅れて高校に着くと、そのまま校舎の前を通り過ぎ、隣接する大学の学食に行く。そこで時間を潰し、夕方になるとまた林のなかを歩き、何食わぬ顔をして帰宅した。当然、バレる。出席日数15日。一学期の終わりに渡された通知表には、赤ペンで書かれた「無評価」という文字が並んでいた。
父は、「学校に行かないなら家を出て、一人で生きろ」と言った。本当に出て行くとは思っていなかったのかもしれない。だが私はさっさと家出。新宿で知り合った学生から教えられた大学の寮に転がり込んだ。そのころ、大学の寮は出入り自由。誰からも咎められることはなかった。投げ出されていた汚い布団に包まり、空き瓶を拾い集めて金に換え、180円のアジフライ定食を食べて数カ月を過ごした。
そこで私は初めてセックスをした。相手の男が好きだったわけではない。怖気づいていると思われたくなかったのだ。男の体の下で「セックスなんてたいしたことではない」という顔をしていた。15歳だった私は、そうやって自分を守っていた。
あとになって、相手の男が「あいつはマグロだ」と言っていると聞き、そうか、ああいうときは、感じたふりをしなければいけないのかと知った。それぐらい無知だった。