セックスは寝床の対価だった

それからも、家に帰りたくない一心で、声をかけてきた男のアパートに転がり込んだりした。食べさせてもらい泊めてもらう。セックスはその対価。これで貸し借りなしだと思っていた。馴れ馴れしくしてくる男の手を振りほどき、「私にかまわないで」と言う。男はとたんに不機嫌になって「そんな女だとは思わなかったよ」と吐き捨てる。「どんな女だと思ってたのよ」と言いながら、私は唇をひん曲げて笑う。体を投げ捨てるようなセックス。二度と会うこともない男たち。たがいに軽蔑を見せつけることで、脆弱な自尊心を保っていた。

「……遊郭をひやかす。写真を見てもみな頗る醜悪なり。格子の奥にタバコを吹かす女、あたかも白粉樽にころがる半腐爛の豚のごとし。路地にも肥料のごとき異臭あり」

これは、山田風太郎の『戦中派不戦日記』のなかの一節。私の祖父が経営する「久保田楼」という女郎屋は、山田がひやかしたこの遊郭のなかにあった。父はここで青年時代を過ごし、赤線が廃止になったあとも家業を深く恥じていた。

その反動だろう。父は、自分の家庭に性的な匂いが入り込むことを極端に嫌った。母には、化粧をすることも半袖を着ることも許さず、ミニスカートを履いた私を、ものすごい勢いで殴りつけた。修道院のような家庭にしたかったのだ。

筆者提供
一糸まとわぬ姿に煙草をくゆらせる20歳の筆者

ついにたった一人になってしまった

それなのに、娘の私は高校を中退して家出。不敵な顔をして不純異性交遊だ。これもまた、私なりの父への反動だったのだろう。反動から反動へと極端に揺れ動く。父と私はよく似ていた。

だが父は、そんなふうには考えなかった。「お前は人間じゃない。メス犬だ。お前とは親子の縁を切る。お前は、お前が生きるに相応しい場所へ行け」と言って、新宿の「風林火山」という店の場所を私に教えた。その店の周辺は、当時、売春婦が立ちんぼをしていることで知られていた。父の言葉を冷めた思いで聞きながら、私はここでもまた、唇をひん曲げて笑っていた。

全国中学生共闘会議の流れで知った、ノンセクトの高校生グループ「暫定フラクション」の集会や勉強会に参加した。けれども私は、革命など起きたら真っ先に粛清されるような人間だ。リーダーから「これはお遊びじゃないんだぞ。真面目に革命を目指す気がないなら出ていけ」と言われてパージ。追放である。おっしゃる通り。社会に対する不満はあったが、革命なんて絵空事だと思っていた。

それでも私は、このとき、帰属するものも友だちもすべて失った。完全に孤立。誰にも頼れない私は、優しくしてくれる男だけに頼るようになった。