日米同盟のあるべき姿

――日米同盟についての日本国民の意識を見ていくと、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないかという「巻き込まれ論」と、いざという時にアメリカは助けてくれないという「見捨てられ論」、あるいは盲目的に「助けてくれるだろう」と考えるような立場が混在しています。

【千々和】さきほども申しました通り、近代以降の日本は朝鮮半島と台湾を自国にとって重要な地域とみなし、パワーの裏付けによって同一陣営にグリップすることにしてきたといえます。それにより、日本の安全を確保することができたわけです。

日米安保条約に極東条項が存在することで、アメリカの戦争への「巻き込まれ」につながるとの批判が戦後長らくなされてきましたが、アメリカによる「巻き込まれ」を恐れるのではなく、日米共通の脅威を抑止するためにお互いに何ができるのか、という前向きな議論が必要とされると思います。

「見捨てられ」論にしても、日米間で日頃から認識を共有し、共通の目的の中で日本が不可欠の役割を果たしていくことで、そうした事態には至らないようにすることができるでしょう。

――自分の国を自分たちで守るという姿勢を見せて初めて、協力を得られる(=見捨てられない)。まさにウクライナはそうですね。

【千々和】「もう敗北で構いません」という姿勢であれば、当然、西側諸国も支援しません。

仮に日本が侵攻を受けたとして、日本自身がまったく抵抗の意志を示さないのであれば、アメリカであれどの国であれ、日本に支援の手を差し伸べないでしょう。

イデオロギー対立は過去のもの

【千々和】その場合、侵攻を考える側からすれば、日本を攻めても、日本もアメリカも反撃してこないので怖くない。となれば、いわば相手はやり放題になり、日本の危険は高まり、地域も不安定化します。

こうした事態を避けるためにも抑止を掲げ、何かあればまずは自分たちが第一に責任を担うという姿勢を持つことが必要で、これが同盟国との連携強化にもつながり、結果的に抑止力を高めることにもつながっていくでしょう。

――日米関係一つとっても、評価が入り乱れて複雑化してしまうのはなぜでしょうか。

【千々和】冷戦期の日本の安全保障議論は、東西冷戦を反映したイデオロギー対立になってしまっていました。

日本社会では安全保障の議論そのものがタブー視されてきた経緯があります。また、日本の取りうる対応にしても、集団的自衛権の行使をまったく認めない、すなわち自衛隊が武力を行使できるタイミングを過度に厳しく設定することや、米軍の行動を事前協議でいかに厳しく制約するか、などが議論の中心でした。

しかしそうした時期はもう過ぎていますから、適切な安全保障体制をいかに構築していくかを、国民レベルで考えていかなければなりません。