しかし、たびたび露呈する政権寄りの体質、経営委員会による番組への干渉、トップの独断専行というガバナンスの欠如、職員による不適切な支出など、「健全な民主主義」とはほど遠い「事件」が続出しているだけに、単なる言葉遊びにしか聞こえないのは筆者だけだろうか。

ネット空間における「公共」の再定義なくして、「新生NHK」の将来は見えてこない。

「ネット受信料」が抱えている大きな矛盾

となると、NHKの存立基盤である受信料制度も、ネット時代にふさわしい形への見直しが必然となってくる。

改正放送法で示された「ネット受信料」の創設は、一見すると、ネット視聴者から徴収するもっとも適切な方策に見えるが、実は大きな矛盾を秘めている。

そもそも、NHKの受信料は、「特殊な負担金」と位置づけられており、テレビを持っていればだれもが徴収の対象になる。言い換えれば「みんなで支えて、だれもが見られる」という枠組みだ。

ところが、「ネット受信料」は、スマートフォンやパソコンを持っているだけでは徴収の対象にはならない。アプリをインストールして利用登録した場合にのみ受信料を払うシステムだ。動画配信サイトを視聴するケースと同じで、スクランブル放送にも通じる。つまり、「視聴の対価」であって、だれもが払うことを求められる「特殊な負担金」とは本質的に異なる。

「ネット受信料」の創設は、受信料制度の根幹にかかわる大転換なのだ。

「特殊な負担金」は「公共放送」を維持するための方策として理解されているが、「視聴の対価」となると「公共」の概念は希薄にならざるを得ない。

つまり、「公共メディア」とは何か、という根源的なテーマに行き着くのである。

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もはや「特殊な負担金」では通用しない

もともと、NHKの受信料を払っているのは全世帯の7割程度に過ぎず、受信料を払わずに番組を「ただ見」している人たちが3割もいるという「不公平」は、歴然と存在している。視聴者の不満は溜まりに溜まっており、NHK批判の一因ともなってきた。

NHKは、「不公平」という矛盾を抱えたまま、ネット事業の「必須業務」化で新たに「視聴の対価」という矛盾を抱え込むことになった。

現行の受信料制度の延長線上に「ネット受信料」を置く限り、もはや顕在化した矛盾を解消する方策は見つからないのではないだろうか。

このままでは、見かけは同じ受信料なのに性格が決定的に違うという矛盾を抱えたまま、「ネット受信料」はスタートすることになる。