一流大学の講義がネットで見られる時代

そしていまや、わざわざ大学に進学しないと学べない内容もなくなった。特に文系の場合、授業内容は指定された教科書に書かれていることがほとんどだ。本当に学ぶ意欲があるなら、その教科書を自分で読んだほうが効率的である。しかも大学教授のほとんどは研究者なので、教え方が上手い教授のほうが少ない。

つまり、自習のほうがコスパもタイパもよっぽど優れているのだ。もし教科書を読んでも理解できないのであれば、そんな人はそもそも高等教育機関である大学に行くべきではない。

「情報の民主化」は、アカデミックの世界にも波及している。たとえばスタンフォード大学など世界屈指の名門校の講義がネットで開放されている。やはり、学ぶ意欲さえあれば、わざわざ進学する必要はないのだ。

多くの高校生が「やりたいことが不透明だから」「親のすすめで」「モラトリアム期間を楽しみたいから」「周りのみんなが行くから」「就職に有利だから」といった、あいまいな理由で大学に進学する。

しかし、ここまで説明したような状況を考慮すれば、大学進学は時間とお金の無駄な浪費にほかならないとわかってもらえるだろう。

研究者などアカデミックな世界での活躍を目指す人以外は、大学へ進学せずに働くほうが、コスパもタイパも圧倒的に優れているのだ。ほとんどの人にとって大学に行く必要はないのである。

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Fラン大学にだけは行ってはいけない

いまや大学全入時代。望めばだれでも大学に進学できる。大学のインフレが起きているわけだ。その結果、Fラン大学が量産されてしまった。

Fラン大学とは偏差値の算出が不可能、もしくは偏差値35以下の最底辺の大学のことだ。「名前を書ければ合格できる」などと揶揄されている。

一部のFラン大学の授業内容は中学校レベルだという。英語のbe動詞の使い方。分数の掛け算。大学生がそんなことを教わっているのだ。高等教育の存在意義を根本から覆す光景だ。

勉強はできないが、「大卒」の肩書きは欲しい。そんな人がFラン大学に行く。でも行くな。絶対行ってはいけない。4年間という壮大な時間の無駄遣いだ。それだけではない。卒業後の人生も冴えないものになる。

はっきり言う。最終学歴が大卒であっても、Fラン大卒の場合はなんの箔にもならない。むしろマイナスだ。就職活動で苦労するのは明らかだ。「学力不足」「社会人としての基礎能力不足」と採用担当者は見なすだろう。Fラン大卒の肩書きのせいで門前払いされてもおかしくない。