データしか信用しない

【川村】堀江さんの発想は、すごく自由なんですよ。私がアメリカに留学した時「日本の常識だけがすべてではない。常識って破ってもいいんだ」と初めて気づきました。

例えば、「日本だと会議などで発言しない、よほど素晴らしい質問じゃないと手を挙げて聞かない」みたいな暗黙のルールがありますが、これは破っていいルール、むしろ破らなきゃいけないルールですね。

発言しないと、海外では「会議に出る意味ない」って不気味がられます。私はスタッフに「ルールに縛られず、状況に応じて柔軟に対応すること」を強調しています。「その時できる最大のサービス」を提供し、「時にルールは破ってもいい」と考えます。

サービスに「愛」を込めることが重要で、これがビジネスの成功につながると信じています。こういったことを、堀江さんは初めからわかっていた。常識をいい意味で破っていくんです。堀江さんは常識に囚われない人ですよね。

【堀江】僕はデータしか信用しないんです。データがあって、ファクト(事実)があって、それに従ってやっているだけ。あとは歴史。先人のやってきたことを学ぶと、いろいろなことがわかります。

例えば、日本は第二次世界大戦前、戦費調達のために政府が郵便貯金をすごく推奨した時期がありました。だから今でも、投資より貯蓄と考える人が多い。でも、日露戦争の戦費は国債で調達しているんですよ。それも欧米に売りさばいている。

日本はもともと先進的な金融国家だった

日本は、昔はベンチャー国家みたいな感じでした。だって、明治維新の頃、初代総理大臣の伊藤博文はまだ20代ですよ。そして、総理になった時は40代。若いからパワーもあった。そして、留学して得た新しい知識をどんどん日本に取り入れていった。

【川村】そうだったんですね。

【堀江】それに、日本はもともと先進的な金融国家だったんです。だって、先物取引を世界で最初にやったのは江戸時代(1730年)の大坂の堂島米会所(※1)ですよ。デリバティブ取引で有名な米シカゴのマーカンタイル取引所には「このシステムは大坂の堂島で開発されたものです」と書かれたプレートがちゃんとあります。

佐々木吉光による堂島米取引所の浮世絵(写真=Yoshimitsu Sasaki/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

他にもアービトラージ(裁定取引)(※2)もやっていた。当時、大坂の米相場をできるだけ速く江戸に伝えるために、のろしを使っていたんです。のろしの上げ方で相場の上げ下げを伝えていた。だから、大坂から江戸まで米相場が1時間くらいで伝わりました。

でも、第二次世界大戦のための戦費調達や戦後に財閥が解体されたことなどで、金融に対する考え方がだいぶ変わってしまった。そういう目で見ると、日本は戦後に今のような形になっただけで、戦前は全然違っていたんです。

【川村】なるほど。

※1 堂島米市場とは、1730年に大坂・堂島に開設された江戸時代最大のお米の取引所。ここでは米との交換を約束する米切手を売買する「正米商い」と、米の取引銘柄を帳簿上で売買する「帳合米商い」が行なわれていて、日本の取引所の起源とされている
※2 アービトラージとは、市場の価格差を利用して利益を得る売買方法