「中世的世界」からのヒント

言語が牢獄だとすると、日本人が日本語を使い続ける以上、人権宣言が構想する「社会」、対等な個人によって構成される同輩者的な世界が日本で実現することはあり得ないことになってしまう。パワー・ハラスメントを根絶することも、内部告発者を保護することも、そもそも不可能ということになってしまう。

ひとつの可能性として水林さんが挙げるのは、意外なことに、日本の「中世的世界」を見直すことである。

【水林】大野晋という日本語学者が指摘しているのですが、日本の歴史が律令的貴族的な古代社会から、東国出身の武士の時代に移行した時に、日本語が変化しているというのです(p.295)。つまり、社会と言語は相互規定的であって、社会が変われば言語も変わるし、言語に対して自覚的な働きかけをすることによって社会が変わる可能性もあるわけです。

では、中世に東国出身の武士団が力を持ったことによって、社会にどのような変化が起こったかといえば、それを象徴するのは、鎌倉時代の武家法である『御成敗式目(貞永式目)』です。『御成敗式目』の世界は、ひとことで言って「道理」の世界、さきほどの用語を使うとすれば「超越的普遍者」のいる世界です。

撮影=今村拓馬
言語に対して自覚的な働きかけをすることで、社会が変わる可能性もあると語る。

日本でも「道理」で物事が判断された時代があった

【水林】「道理」とは、最上位にいる人間のさらに上にある超越的な正義の観念であって、「道理」の世界では、伝統的な権威や現実的な権力からの圧力、あるいは親しい親しくないといった親疎の感情に引きずられることなく「道理」によって政道が判断され、「道理」によって紛争の解決が行われていたといいます。ふたたび丸山眞男に従えば、中世は、「道理」の存在によって、日本の歴史の中では例外的に、市民的な「私=個」が自己を力強く主張した時代、領主たちが契約によって水平的に結合する「一揆」の時代だったのです(p.61)。

歴史学者の石母田正(『中世的世界の形成』の著者)は、「道理」と「一揆」の中世は天皇制を克服した時代だったと指摘し、そして大野晋は、中世では主格を表す助詞の「ガ」と「ノ」の用法が変化して、「日本語は、はじめて尊卑観念(上下、強弱の観念)から離れた主格表現の助詞を獲得したといえる。」(p.298)と述べているのです。

かつての日本に、上下関係や強弱関係とは無縁の「道理」によって物事が判断された時代があり、その時代に日本語が大きく変化したのだとすれば、意識的に日本語に働きかけ、日本語を変化させることによって、「道理」が通る世の中を再興することができるのかもしれない。非道なパワー・ハラスメントやカスタマー・ハラスメントを、根絶できるのかもしれない。