男子校が1番手、女子校が2番手、共学が3番手なのか?

ジェンダー平等とは、性別にかかわらず、平等に責任や権利、機会を分かち合うこと、つまり男女は同等であり、同権であるということです。

男女が「同等」の選択肢や機会を与えられるべきではありますが、まったく「同じ」選択肢や機会を与えられないから不平等と決めつけるのはやや安易なのではないでしょうか。

今回の議論の発端となった「男子高校が、女子に対し、女子であることを理由に入学を拒んでいることは不適切」との県民の意見や共学推進派の「性別によって入学できない高校があるのは、公平ではないから」などの意見。

確かに性差による入学制限という部分のみを切り取れば、不平等のように思えます。

実際に埼玉県と同種の主張により、2003年に福島県、2010年に宮城県が全県立高校を共学化しています。また、同じく関東の栃木県の男性教員からも「別学を男女差別」とする声があがっています。

ただし、これらのケースと埼玉県とは似て非なるものです。

たとえば、栃木県では、県内のトップの県立高校は男子校の宇都宮高校で、同偏差値帯の女子校や共学はありません。女子はどんなに優秀でも2番手である女子校の宇都宮女子高校や共学の宇都宮東高校に進学するしかないのが現状です。また、宇都宮高校が偏差値72程度に対して、共学である宇都宮東高校は偏差値65程度とかなり開きがあります。

女子には宇都宮高校と同等レベルの高校に通う機会が与えられない、また、共学を選択したい男女は別学高校より偏差値が5以上下の学校にしか進学できないというのはジェンダー平等に限らず、個人に対する機会の平等を奪っているとも言えます。

このような状況の解決策として、共学化がふさわしいのか、高偏差値の共学を増やすのがふさわしいのかなどはまた別問題としても、不満の声があがるのは納得できます。

「賢い男子は浦高、女子は一女」がなぜダメなのか

しかし、埼玉県の現状は栃木県とは異なります。県内には良い塩梅にさまざまな男子校、女子校、共学があり、男女ともにある程度自由な選択ができる環境下にあるように感じます。

例えば、県内トップの男子校である浦和高校(浦高)と同偏差値帯には、女子校の浦和第一女子高校(一女)、共学の大宮高校、市立浦和高校などがあります。

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たとえ、浦高に進学がかなわなかったとしても、同等の教育を受ける選択肢は確保されており、その後の進路に支障をきたすことのない環境が整っていると言えるでしょう。

女子が偏差値を満たしているのに浦高に入れないのは本当にジェンダー不平等なのか、賢い男子は浦高、女子は一女ではどうしてダメなのか(同等の男子校に入れないことを不満に思っている当事者女子たちがどれほどいるのかも含め)、そのあたりを冷静に考える必要があるのではないでしょうか。

埼玉県立浦和高等学校(写真=あばさー/PD-self/Wikimedia Commons