当て書きでは、と思うほど重なる伊藤と寅子
寅子には厳然たるモデルがいるが、一部、伊藤沙莉の当て書きではないかと思う節がある。
2021年に出版された彼女のフォトエッセイ『【さり】ではなく【さいり】です。』(KADOKAWA)を読むと、けっこうワイルドな人なんだなと思う。例えば、「仲間はずれ」の章には、誰かに悩みを相談したとき、「もっとほかに苦しい人もいるよ」的なことを返されると「知るか」と思うと書いている。これについての彼女なりの真摯な考えは、エッセイをちゃんと読んでほしいのだが、「私は私のキャパで生きている」「苦しいって思っているんだから苦しいんだよ」という、相対化ではなく、つねに自分の物差しで生きるという考え方には大いに共感する人も多いのではないだろうか。
この伊藤のエッセイを読んで筆者は、『虎に翼』で寅子が妊娠中もがんばって仕事をしていたら、恩師・穂高(小林薫)にいったん休むことを提案され、ものすごく絶望したエピソードを思い浮かべた。穂高はよかれと思って言ったことを、そんなに激しく拒否することもないのでは、という視聴者の感想もあった。しかしエッセイを読むと、寅子は自分がやりたいことをできないことに苦しんでいるのだから、「仕事は一旦休めばいい」という一般論では片付けられないのだ、それが個人の尊厳を守ることなのだと理解できる。
モデルとなった実在の人物がここまで主張する人だったかはさておき、伊藤が演じる寅子が「わきまえない女」だと支持されるのも納得だ。
女性の役割から解放された「新しいヒロイン像」
我道をゆく姿が似合う伊藤沙莉は、どのようにして朝ドラヒロインまで上り詰めたのか。人気に火がつきはじめたのも、実は朝ドラがきっかけだった。2017年の『ひよっこ』で演じた米屋の娘・米子役で注目された。恋のひとり相撲をとり続けるコメディリリーフ的存在で、非モテキャラを痛々しくなく、ほどよく愛らしく演じきった。その後、2021年の『いいね!光源氏くん』(NHK)では、転生してきた光源氏(千葉雄大)に恋する、地味で自尊感情の低い現代人のヒロインに抜擢され、新しいヒロイン像を求める時代のロールモデルとなった。
伊藤沙莉に重ねる新しいヒロイン像とは何か。例えば『ミステリと言う勿れ』で伊藤が演じた風呂光は、主人公に心酔するような、原作といささか違うキャラになっていた。原作の風呂光は主人公に「おじさんたちって 特に権力サイドにいる人たちって 徒党を組んで 悪事を働くんですよ(中略)でもそこに 女の人が一人混ざっているとおじさんたちはやりにくいんですよ 悪事に加担してくれないから(後略)」と言われ、でも女性は個人だとおじさんたちに取り込まれたり脅されたり排除されてしまうので、「男でも女でもないもう一種類の生き物――おじさんたちを見張る位置にいてください」と言われる。
いわゆる、これまで女性の役割と思われていた様々なことから解き放たれること。場に彩りや花を添える、みたいなことでは決してない存在。やりたいことをやりたいように自由に言ったりやったりできる人――それが伊藤沙莉に求められているのではないだろうか。その究極の存在・寅子についにたどりついたのだ。伊藤沙莉が2003年にデビューしてから21年が経っていた。