父親の不倫

下島さんは小4の夏、父親に連れられて海水浴に行った。浜辺に着くと、父親の同僚だという女性とその息子がおり、4人で遊んだ。女性の息子は下島さんより1〜2歳上で、下島さんの父親に懐いている様子はなく、終始険しい顔をしていた。

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帰宅すると下島さんは、「どっかのオバちゃんと子どもと海に行った」と仕事から帰ってきた母親に報告。

「その時の母の表情を見た瞬間、『言ってはいけないことだったんだ』と後悔したことを今でも忘れません……。その後、その女性が電話をしてきて『旦那さんと別れて!』と言ったり、怒ったり泣いたりして、応対した母はいつも困惑した様子でした」

当時は台所ともう一部屋しかない長屋暮らしだったため、幼い頃の下島さんは、夫婦喧嘩を何度も目の当たりにしてきた。中でも強烈に脳裏にこびりついているのは、父親の足にすがりつき、「捨てないで〜!」と泣いている母親の姿だった。

「母は常に父の顔色を窺っていました。口下手で、誰に対してもですが咄嗟に言い返すことができません。何も言い返さない母に対して、父は泣きながら怒っていました……」

子はかすがい

下島さんは高2になった。修学旅行に京都へ行く数日前、父親から1万円札を渡され、「京都で飾り物でも買って来てやって」と頼まれた。1万円札は、父親の不倫相手からの餞別だった。

旅行中、下島さんは長年不倫を続けている父親への怒りがこみ上げ、抑えられなくなった。1万円分の人形やこけし、五重塔や金閣寺などの置物、陶器の湯呑など、わざと嵩張るものを選んで買い込んだ。

修学旅行から帰ってくると、多くの親は駅まで迎えに来ていたが、下島さんの親は来ていない。幸い友だちの親が車で家まで送ってくれたが、1万円分のお土産で荷物が重いうえ、迎えにも来てくれていない父親に対し、さらに怒りが増していた。

下島さんは家に入るなり、父親の前にお土産をぶちまけると、「女と別れるか母さんと別れるか、決めるまで帰らない!」と言って家を飛び出し、友だちの家に駆け込んだ。

「『アンタの愛人のためにこんな重い荷物を持ち歩いてたのに、迎えにも来ないなんて!』と腹が立ちました。でもその日のうちに父から電話があり、『俺が悪かった。相手とは別れたから』と言って、迎えに来てくれました」

この日を境に父親は帰宅が早くなり、家にいることが多くなった。

「たぶん父にとっては母よりも、娘である私の存在のほうが大きかったのだと思います。幼少期から親と折り合いが悪く、反抗ばかりで、私はうまく笑うことができませんでしたが、父が言った冗談に少しでも私が反応するといちいち喜んでいました。一人娘はかわいかったのだと思います。そしてそれは、前妻との子を手放したからではないかと想像しています」