「どの局も他局でヒットした番組を虎視眈々と狙っていますよ」

しかし、今回はそれらすべてのセオリーを覆すかたちとなった。ここには、テレビ局の旧態依然の考え方が関係している。テレビ局は何となく「仁義」を重んじるような風潮がある。「企画を通してあげたのだから、その部分は恩義に感じてね」といった押しつけにも近い気持ちがある。そこにあるのは“上から目線の”考え方だ。

「そんなのはいまどきないだろう」と考えるのは甘い。テレビ局は企画を提出した局員や制作会社に対しては、常に優位的立場であるからだ。企画を採択するかどうかは胸三寸、番組を続けるか打ち切るかは局の気持ち次第である。だから、これまで番組の「局間移籍」は「タブー」だったのだ。そんな「裏切り行為」が許されるわけがない。

だが、この考え方はもはや古い。それを証明したのが今回の事件だ。

前掲の制作会社経営者のひとりは、局からの独立組である。局員時代には数々のヒットバラエティを生み出したその彼は、「どの局も他局でヒットした番組を虎視眈々と狙っていますよ」と証言する。彼が手がけた番組を知っている局から、「あの○○(ヒットした番組名)をうちでもやってくれないかな」と言われることがよくあるという。

しかし、彼は「それはやらないことにしている」。その理由は、在籍していた局への忖度である。他局もそうかもしれないが、古巣の局も発注元や企画を通してくれる相手になる可能性がある。何かあったときの制裁は怖い。

テレビが「企画」を独占した時代は終わった

次に、②「『他局移籍』が行われた理由、原因は何か」である。

上述したように、「他局移籍」を「タブー」とする考え方はすでに昔のものだ。そうなってきた理由としては、テレビ業界のパワーバランスが崩れてきたことが挙げられるだろう。

これまでテレビ番組制作のピラミッド構造の頂点に君臨していたのはテレビ局であった。しかし、これがいま崩れようとしている。「メディアの雄」として長い間、うまい汁を吸ってきたテレビ局は、インターネット配信というまったく新しいシステムの出現によってその座を奪われようとしている。いや、すでに奪われつつある。「ヒト・モノ・カネ」の「ヒト」にあたる人材と「モノ」にあたる企画を独占してこられた時代は終わりを告げた。ヒトはテレビ業界から流出し、今度は企画も流出し始めたというわけだ。

しかし、私はこの現象は悪くないことだと思っている。それが③の「今後のテレビ制作・テレビ局に与える影響」の答えとなる。今後、こういったケースは増えると私は観ている。週刊誌やサイト記事などでは、日本テレビや中京テレビの誤算であったかのように書かれているが、そうではないと私は指摘したい。今回のことは、起こるべくして起こった。

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