「パートナーの浮気」を認めるのは容易ではない

その他の浮気の兆候としては、パートナーが以前に比べ何かに身構えるようになったり、急に怒りだすようになったり、理性的に答える代わりにケンカ腰になったりする。なぜ数時間、連絡がつかなかったのかを尋ねたら激昂するなど、時として人は理にかなった答えを持ち合わせていないとケンカ腰になることがある。

浮気を疑っている側を、過剰に疑い深く要求しすぎているように見せるということもある。不意打ちを食らわせ、立場を逆転させるのだ。私にも経験があるが、追及する側は突然、被害妄想に囚われた悪役にされてしまう。とても傷つき、悲しくなった。非常に不当な扱いだったし、その後、真実を知ることさえできなくなった。

兆候はあっても、真実から目を背ける方が簡単な場合もある。そんなことは知りたくないというわけだ。人は自分の経験や希望、願望を通して、現実と真実を認識し、セルフイメージを作り上げる。人は見たいものを部分的に見るのだ。

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多くの場合、誰もがパートナーは誠実であると思いたい。だから浮気の兆候にあまり注意を払わない。実際に不倫を目の当たりにしたら、最愛の妻や夫の印象はもはや同じではなくなってしまう。その現実を認めるのはそう容易ではない。

「キスショット」を不倫相手の妻に送った女性

セルフイメージも同じだろう。浮気するパートナーがいる自分とは一体、何者なのだろう? 時間を1カ月や1年早送りして、もし一緒に暮らしていた人と離婚に至っていたら? マイホーム、子供、互いに依存しあっているすべてを断ち切らなければならないとしたら?

浮気中のパートナーがいる人が、浮気について具体的な証拠を見つけるのはよくあることだ。しかし、それでも信じようとしないこともよくある。

本書の取材で登場した女性の1人がそうだった。ある女性が既婚男性と5年間交際していた。2人の恋愛が何年も続いたある夜、彼女は彼の生活のごく一部だけで満足しなければならないことに心の底から苛立ち、うんざりした。彼が自由になれる時に合わせて、幾度となく自分の予定を変更しなければならず、いつまでも陰の存在で夏至祭や新年、誕生日に招待されないことに嫌気がさしたのだ。1人の人間として家族に紹介されることも決してない。そして、白昼堂々と存在することが許されない人間であることに耐えられなくなった。

そこで、恥ずかしくもあったが誇らしくもある方法で自由を手に入れた。キス写真を相手の妻に送ったのだ。写真は彼の出張先について行った時、ホテルの朝食の席で撮られたものだった。妻からの返事は「二度と連絡しないで」だった。