早稲田総長の強気のコメント

受験産業は「私大受験生のうわずみをごっそりさらおうという計算。来春は大手私大の上位層が東大に流れる」と見ていた(『朝日新聞』1989年8月13日)。

重厚長大な論文試験などによって、既存の5教科入試に向かない「私大型」の最上位を奪う作戦、と理解されていたのである。

一番被害を受けそうなのは早稲田と慶應で、取材を受けた当時の西原春夫早大総長は「それはそれでいい。早稲田にぜひ、という学生が欲しい。偏差値は少し下がるかもしれないが、100年間それでやってきた。偏差値秀才イコール優秀な人材とはみていません」と意気軒昂に答えている(『AERA』1990年1月23日号)。

「私大型」東大受験生の談話もメディアに流れ、数学を捨てた受験生が早慶などの合格を確保した上で東大文科三類にも合格、「受かればもうけものだ、といった遊び感覚で受けてみた」などと語った(『読売新聞』1990年4月15日)。

数学の復権によりネットで起きたこと

このほか、東京外国語大学や東京都立大学も「私大型」入試に踏み切った。慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)の入試でも、英語や小論文の力が圧倒的であれば合格できた。突出した得意科目があれば、苦手科目があっても「個性」の範囲内とされた時代だったといえる。

だがいつしか東大後期でも5教科の総合的学力や数学の応用力が求められるようになり、2015年を最後に後期日程そのものが廃止され、前期一本となった。

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私大最難関とされる早稲田の政治経済学部でも共通テストの「数学Ⅰ・数学A」が2021年から必須化されている。これは、経済学はもちろん政治学でも数学を用いた定量的研究が隆盛をきわめていることと関係するだろう。数学ができない、ということはかつてのように進路選択を狭める時代に戻った。

ネット上では「私文」(私立文系)に対する揶揄が溢れ、それと反対に各種メディアにおける東大礼賛が目立つ時代となった。

東大生の大きな変化

帝国大学の創設年である1886(明治19)年を起点とすれば、すでに140年近くの間、日本社会は東大信仰(帝大信仰)とつき合い続けている。その間、先行者であった慶應義塾などの私学、ライバル校として創設された京大をはじめ、さまざまな挑戦者があらわれた。

大正期には、一高・東大的な教育のあり方に反旗を翻す学校群も出てきた。加えて「大正デモクラシー」が、太平洋戦争が、東大闘争が、東大に危機をもたらした。だが、いずれも深刻な結果にはならず、かえって異質な要素を貪欲に取り込んで東大は東大たり得てきた。

異質な要素といえば、タレントやインフルエンサーの類が東大から続々と輩出されていることも、近年の特徴かもしれない。