垂直統合型ではなく、製造だけに特化

TIでは25年働き、世界の半導体事業を統括するポストまで昇進しましたが、1985年、54歳のときに台湾政府から世界一の半導体企業を作ってほしいと依頼されます。

モリス・チャンは快諾し、台湾工業技術研究院の院長に就任したものの、何もないに等しい状態で、一体どうすればいいのか悩みました。

当時は、日立、富士通、東芝などの日本企業が半導体業界で世界を席巻していた時代で、台湾には町工場しかなかったからです。

台湾当局は、日本のような垂直統合型の半導体メーカーの立ち上げを期待していたようですが、台湾には設計技術がないことから、モリス・チャンの考えは、製造だけを請け負うファンドリーに収束して行きました。背景には、TI時代にIBM用の製造を請け負って成功した経験がありました。

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日本企業は「成功するはずない」と見下していた

しかし、当時は半導体の製造だけに特化するファンドリーという概念がなく、別の会社の半導体の製造を請け負うだけのビジネスなど、世界中の誰も考えていないような状態でした。半導体工場の建設には多額の資金が必要ですが、いろいろな会社に出資を頼んでも、興味を示したところすらありませんでした。

TSMCの創業後、数年間はほとんど売り上げがなかったそうです。半導体技術者でジャーナリストの湯之上隆氏も次のように当時のTSMCの印象について書いています。

「TSMCの存在を知ったのは、1995年にDRAM工場に異動した頃だったと思う。そして、台湾の技術を下の下に見て、そんな技術で製造請負のファンドリーが成功するはずがないと思った。これは私個人だけでなく、日立全体、日本半導体全体がそのように見下していた」

しかし実際は、シリコンバレーではインテルのセカンドソース品メーカーから始まったAMDのように、半導体設計だけに特化し製造は外部に委託する「ファブレス」が誕生し、製造を担当するファンドリーのTSMCとファブレスが分業するようになりつつありました。

製造設備やプロセス技術に投資する必要がなくなり、身軽になって創業のハードルが一気に下がりました。その結果、シリコンバレーで半導体スタートアップが次々に誕生し、台湾TSMCを利用した正のスパイラルが始まります。

モリス・チャンは「半導体業界を根本から変えてしまった」のです。