かわいがっていた甥っ子は早逝、異父姉と同居することに

しかし、チエミが精いっぱい明るく楽しく生きようとする一方、高倉の仕事は多忙になり、すれ違いが増えていく。そんな中、チエミは実兄の子・サトシを自分の子のようにかわいがり、養子にしようと、一時は一緒に暮らすようになる一方、子供に恵まれなかった思いは埋められず、歌手に復帰。新たにミュージカルにも挑戦し、成功を収めるが、1961年、かわいがっていたサトシを突然の事故で失う。

江利チエミ(写真=『アサヒグラフ』 1955年10月5日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

さらに、その翌年、チエミの運命を大きく狂わせる女生徒の出会いがある。母が不倫相手との間に作った異父姉A子が現れたのだ。A子は夫と別れ、1人で子どもを育てていると言い、そんなA子の境遇に心を痛めたチエミはA子を同居させる。

小柄で地味な服装で、物腰の低い献身的な“姉”をチエミは信用し、高倉も喜んでくれていたが、その頃から徐々に高倉の足は自宅から遠のくようになる。さらに1970年、高倉・チエミ邸が火災に遭うと、夫婦はしばらくの間、ホテル・ニューオータニに宿泊することになる。

信頼していた姉はチエミと高倉の家を勝手に抵当に入れた

しかし、そこから夫婦の絆が強まるわけではなく、高倉はますます帰らなくなり、心配するチエミは食事もとらず、夜も眠らないことから一時入院。その後、マネージャー兼付き人だった長兄も急死し、その半年後にチエミと高倉は離婚する。

実は夫婦の離婚の原因には、A子の存在があった。A子は実印を使ってチエミの銀行預金を使い込み、高利貸しから多額の借金をしてチエミ・高倉邸を抵当に入れていたのだ。

評伝では、清川虹子がチエミ・高倉の離婚について、こう語っている。

「私は親しくしている不動産屋さんから、千駄ヶ谷のチーちゃん(註:チエミ)の家が売りに出されているという話を聞いたんです。冗談だと思いました。チーちゃんがお金に困っているわけがない。ところがチーちゃんが知らないうちに不渡り手形が関西にまで出回っていたんです。チーちゃんがすっかり信じて、実印から何から全部渡していたお姉さんがやったことでした。その姉は、健さんには女がいるとチーちゃんに吹き込んでもいたんです。チーちゃんに離婚をすすめて、弁護士のところに相談までいっていたそうです」
藤原佑好『江利チエミ 波乱の生涯 テネシー・ワルツが聴こえる』(五月書房)