懸命に母の関心を引き続けた

それからも私は「童話の部屋」や各新聞の投書欄、そして作文コンクールにも応募を続けた。そうして高確率で、紙面に掲載されたり入賞したりした。打率は着実に上がっていったのだ。

しかし、そんな日々がルーティーンとなるうちに、いつしか私は強迫的なほどにのめり込み、追い詰められていった。

「明日の朝、新聞に載っているだろうか」

そう考えると、ドキドキして眠れなくなるのだ。

そして新聞配達の音がやたら気になって仕方なかった。誰もが寝静まっている真っ暗な早朝、ガチャンと新聞がポストに投函とうかんされる音を聞くと、ハッと目が覚めてしまう。

ベッドから急ぎ足で駆け出し、ポストから一目散に新聞を取り出すと、まず「投書欄」と「童話の部屋」に目を通すようになった。

そこに自分の名前を見つけると嬉しくて、母を起こしに行った。逆に原稿がどこにも掲載されていないことがわかると、立ち直れないほどに気落ちした。そして、そんな自分を奮い立たせ、何がダメだったのか懸命に分析を重ねた。

とはいえ、そんな日々もある意味エキサイティングではあった。母の関心は、弟から「天才」かもしれない私へと移りつつあったからだ。私は、そうやって懸命に母の関心を引き続け「天才」のふりを続けた。

天才のふりをしたピエロ

しばらくは順調だった。私の原稿が幾度となく、この「童話の部屋」に掲載されたからだ。

しかしある日、とんでもないことが起こってしまう。それは突然のことだった。いつものように、「童話の部屋」を開くとなんと小学4年生の子どもの作品が掲載されていたのだ。母の顔は曇り、途端に不機嫌になった。私は焦りで頭の中が真っ白になった。

私は当然ながら、「天才」なんかではない。必死に「天才」の真似をしているピエロなのだ。私の武器は、ただ一つ、「子ども」であること、そして、人より文章がうまいこと。

菅野久美子『母を捨てる』(プレジデント社)

たったそれだけ。平凡な私には、「子ども」であること以外には強みがないことは痛いほどによくわかっていた。幼さは、世間さえも動かす強力な武器なのだ。

それからというもの、「童話の部屋」には「どこかの小学4年生」が頻繁に掲載されるようになっていった。

全身の力が抜けて、いったいどうしたらいいのか、わからなくなった。母の失望の眼差しは、暗にお前は不要だと告げている。そんな母の視線が怖くて、パニックになる。私はいらない子どもなんかじゃない――。絶対、そんな子なんかじゃない――。自分で自分に言い聞かせ、己を奮い立たせた。そして、これまで以上にさまざまな媒体に応募を重ねていった。

私はいつだって自分の中の少女を抹殺し、愛すべき母のために、死に物狂いで奔走してきた。母の期待に応えられない私は、存在価値なんかなかった。生きている意味なんてないのだから。

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