生き延びるために必死だった
そんな折、朝刊に目を落としていた母が私に話しかけた。
「久美子は、それだけ文章がうまいんだから、新聞の投書欄に投稿してみたら?」
「えっ?」
母の言うことには、すべて従うしかなかった。
新聞の投書欄とは、読者が自分の主張・意見を人に理解してもらうために書いた文章を掲載するコーナーのことで、たいていどの新聞にも、この投書欄が設けられている。投書欄は、社会問題を論じたり、日常に起こったほっこりした体験を綴ったりとテーマは何でもよくて、一般人のミニエッセイのようなものである。
私は母の勧めで、作文コンクールと並行して、これらの新聞への投書をするようになった。作文コンクールと違って、基本的に新聞の投書欄は年中募集している。それがよかった。
我が家は、とにかく新聞を大量にとっている家庭だった。母が、新聞を読む子は頭がよくなると信じていたせいだ。地元紙、朝日新聞、読売新聞、子ども向け新聞など、多いときには合計4紙もとっていた。我が家のポストは新聞紙でふくらんで破裂せんばかりだった。
私は毎日届く各新聞の投書欄を読み込み、どんな文章が求められているのか徹底的に「研究」し、その傾向と対策をひねり出した。大人が投書する内容と、子どもが投書する内容は少しだけ違う。
私は、子どもが投書欄に投稿するときの大まかな傾向をつかんだ。そして大切なのは、子どもっぽさや素朴さ、真っすぐさだということに気づいた。特に最近の社会問題や学校生活の矛盾を取り上げて、あくまでピュアな子どもの視点で論じることがウケると理解した。
特に子どもっぽさをわざと演出した文章を意識して投書を続けた。私は子どもである自分に何が求められているのか、わかっていたのだ。今考えると、かなり小利口な子どもだった、と思う。
いや、小利口というより、とにかくいつだって私は、自分が生き延びるために必死だったのだ。
すべては母を喜ばせるために
しかしいくら研究を重ねても、そう簡単に新聞掲載されるわけはない。特に朝日新聞や読売新聞は倍率が高い。だから、いくら応募しても掲載されないこともあった。
だが、それでも地元紙の場合はチャンスがあった。しかも、地元紙は近所の住人たちが購読している確率が高く、母にとってはある意味、全国紙よりもネームバリューを持っていた。
その目論見と効果はてきめんで、私が投稿した文章は、次々と新聞掲載を果たしていった。
ダイニングテーブルに置かれた小さなライトの下、私は無我夢中で寝る間も惜しんで原稿用紙に向き合っていた。母はそんな私を見ると、「がんばってるわね」と猫なで声をかけ、うっとりとした表情を浮かべた。さらに機嫌がよければ、お手製のココアを入れてくれたりした。そんな私に休みはなかった。
土日は溜まった新聞を隅から隅まで読み込んだ。今、社会でどんなことが起こっているのか、そしてそれに対してどう思うか。自分なりのロジックを組み立てるためだ。いわば、ネタの収集をしなければならないからだが、ほかの小学生たちが投稿した文章も大いに参考にした。彼らは私のライバルだった。
学校での作文コンクール、企業が主催するコンクール。新聞投書――。
私は母の期待を一身に背負っていた。すべては母を喜ばせるため、すべては母の注目を集めるため。それ以外に私に生きる意味なんて、どこにもなかった。