観客にじろじろ見られると胃潰瘍になるオランウータン
研究は、大型類人猿の知能の高さに対する驚愕と賞賛と、疑いと批判の間を振り子のように振れてきたわけで、専門家の間でも言語理解について決着はついていないようである。
鏡の経験では、鏡に映った自分の姿を自己として把握できるか、自己認識に焦点がある。動物は鏡に遭遇すると、最初たいてい自分の鏡像に他の動物を見る。そして、警戒、威嚇するが、そこに何もいないとわかると興味を失う。ところがチンパンジーやボノボでは反応が異なる。鏡像を見つめ自らの歯を検査するように触る動作、自分の顔につけられた紅を確認するような仕草をみせる。
自己の認識を示唆するのは、鏡像経験だけではない。たとえば動物園のオランウータンは、観客の見物でときに胃潰瘍になるらしい。安全のため、動物は他の生物による知覚を警戒するが、危険がないとわかると通常は関心を示さなくなる。仲間でもなければ、被食対象でも捕食者でもなく、またテリトリーを脅かす同類でもない存在は注意の対象にならない。いないも同然なのである。
パンダの檻の前の観客にパンダは興味を示さない。ところが、オランウータンは眼差しにストレスを感じる。
自己意識を持つ大型類人猿に生存権はあるか?
人間が視線にさらされ続けるのに耐えられないのと同様、自分が見られている事実がストレスになるようだ。そう聞くと、妙にオランウータンに親近感を覚えるのは私だけだろうか。オランウータンは人間と同じく、自分を意識しているかもしれない。
鏡や眼差しの重圧の現象が示唆するのは、自己を理解している可能性、自己意識をもつ可能性なのである。ちなみに、オランウータンたち大型類人猿は、見つめられるストレスを避けるべく、現在、多くの動物園でガラスの檻のなか、観客の視線に直接間近でさらされる状態にはない。
大型類人猿が言語を理解し、自己を意識しているかどうか、明確になっているわけではない。その知的程度については、驚くべき事実もあれば、疑いを喚起する実験結果もある。既に述べたように、専門家の間で共通見解がでているとは断定できないが、高度の知性と自己意識をもつと動物の権利論者は考える。
そのうえで、痛みを問題とした第二の次元とは異なった主題、生存権の問題が浮び上がる。動物の殺生を批判する、有名になったシンガーの論点をここで確認しておこう。シンガーは、選好功利主義とトゥーリーによる生存権をもつ自己意識要件論、2つの論点を挙げている。