尋常小学校を卒業して住み込みで和裁を習う

激動の第一波は、尋常小学校卒業と同時にやってきた。当時の谷川地区には高等科(中学校)がなかった。隣の大内地区にある高等科までは8キロの道のりがあったが、小柄(現在の身長は138センチ)だったシツイさんは自転車に乗れなかった。歩けば2時間近くかかる距離である。

「毎日歩けば体が弱ってしまうから、親の考えで高等科には行かずに、村長のお宅に住み込みでお行儀と和裁を習うことになったんです。12歳のころです」

1年ほど御新造さん(村長の奥さん)に和裁を教わったが、古い着物をほどいて、洗って、板に広げて干す程度のことで、なかなか着物を縫うところまではたどり着かない。

14歳で東京の理容室に見習いで入る

そんなある日に、東京で理容室を開業している親方(経営者)が、知人を介して「理容師にならないか?」と誘いをかけてきた。シツイさんの同級生の妹が、その親方の下で見習いをやっていたのだ。

撮影=向井渉
理容師になったころから愛用しているシツイさんの仕事道具
撮影=向井渉

「田舎で和裁をやっているよりもいいかなと思って、親と相談して、御新造さんにも相談したら『あなたの好きなようにしなさい』と言われたので、東京へ行くことにしたんです」

現在でも、水郡線の常陸大子駅から上野駅までの所要時間は、特急ひたちを使って3時間近くかかる。蒸気機関車でどれだけの時間がかかったか分からないが、小学校を卒業して間もない子どもにとって、東京は遥か彼方だっただろう。

「実は小学校を卒業した時、父親が東京見物をさせてくれたんです。宮城も見に行きましたよ。やっぱり東京はいいなと思ってね。行ってみたいという気持ちが強かったです」

御新造さんと両親の後押しもあって、シツイさんは向島区吾嬬町の理容室に見習いで入ることになった。

「外国に行くみたいでドキドキしたけど、憧れがありましたからね」