奴隷みたいな生活から這い上がってきた
この時の猪木さんの孤独は計り知れないよな。普段、自分の試合を「八百長」呼ばわりしてた連中の前で、堂々と真剣勝負で史上最強のボクサー、モハメド・アリと闘って引き分けてみせたのに、そのすごさが何ひとつ理解されなかったんだからな。
だけど、ペールワン戦もアリ戦も、すべてを失いかねないようなリスキーな試合だったけど、腹を決めてそこに出ていけるっていうのは、やっぱり若い頃ブラジルに行って奴隷みたいな生活をして、そこから這い上がってきた気持ちの強さもあるんだろうな。たいしたもんだよ。
ブラジルで4年近く、朝日が出てから日が暮れるまで、手から血を流しながら働いてたっていうからな。
その後、日本プロレスに入団して、力道山先生の家に住み込んで、下積みが3年間くらいか。だから腹の据わった人になれたのかもな。
難病には勝てなかった
あと、猪木さんは他人とは違う死生観を持っていたような気がするんだよ。一緒にブラジルへ移民しながら亡くなった人も見ているだろうし。ブラジルに向かう船の上で大好きだったおじいさんも亡くしているわけだもんな。それに力道山先生だって殺されているし。
だから人の命の儚さを知っているからこそ、大きな勝負に出られたのかもしれない。
だってアリ戦だってさ、ただアリと闘うだけじゃないんだよ。あの時、33歳の猪木さんが20億円だかのカネを用意して、負けたらすべてを失うんだから。俺にはできない。
まあ、猪木さん以外、誰にもできないよ。あの人は、人生のギャンブラーだな。
猪木さんは試合でもなんでも人生を賭けた大きなギャンブルを続けてきたんだけど、なんだかんだ言ってみんな勝ってきたんだよ。初めて負けたのが最後の病気だよ。さすがに難病だけには勝てなかったな……。
まあ、あまりにも長く闘い続けてきたから、ようやく楽になれたんだよ。
そういうふうに考えたほうがいいのかなと思うしね。
俺にとって神様みたいな人だったから、猪木さんと一緒に過ごした時間のすべてが幸せだった。
(カール・)ゴッチさんもそうだけど、2人とももうこの世にはいないんだもんな。
アリ戦、ペールワン戦と同じ76年の10月には、韓国で不穏試合と言われたパク・ソンナン戦もあったな。
だけど、パク・ソンナンの時は、俺はゴッチさんのところに行ってたからいなかったんだよ。ゴッチさんのところに行って1日6時間くらい練習をさせられてさ、あれは虐待以外のなにものでもないね(笑)。いやでも、楽しかったよな。