「上下関係」がチームワークを崩壊させる
航空安全対策の転機となったこの事故は、エレイン・ブロミリーの悲劇(※)を思い起こさせる。一方は空で起こった事故、もう一方は手術室で起こった事故だが、どちらにも共通するパターンがみられる。
※2005年、副鼻腔炎の手術を受けた37歳の女性エレイン・ブロミリー。執刀医や麻酔科医はベテランだったが、口から挿入して酸素を送りこむ器具がうまく設置できず、血中酸素飽和度が低下。医師は気管挿管しようとしたが、これも失敗。最終的に気管切開して危機を脱する方法があり、準備もされていたものの、処置されないまま女性は脳にダメージを負い、その後、死亡した。
車輪の問題にこだわり続けたマクブルーム機長と、気管挿管にこだわり続けたアンダートン医師。どちらも認識力が激しく低下していた。機長は燃料切れの危機に気づかず、医師は酸素欠乏の危機に気づかなかった。機長は車輪問題の答えを探すのに必死で、医師は気管チューブを挿入するのに必死だった。迫り来る惨事はまったく無視された。
航空機関士は機長に残燃料を知らせたが何の反応も得られなかった。看護師のジェーンも、気管切開の準備をしたが医師たちに無視された。どちらももっと明確に伝えるべきかと苦悶したが、権威ある相手を前に萎縮した。社会的圧力、有無を言わせぬ上下関係が、チームワークを崩壊させたと言える。
しかし肝心なのはふたつの事故の類似点ではなく、相違点だ。最も大きな相違点は、失敗後の対応の違いにある。医療業界には「言い逃れ」の文化が根付いている。ミスは「偶発的な事故」「不測の事態」と捉えられ、医師は「最善を尽くしました」と一言言っておしまいだ。しかし航空業界の対応は劇的に異なる。失敗と誠実に向き合い、そこから学ぶことこそが業界の文化なのだ。彼らは、失敗を「データの山」ととらえる。
航空事故が起こると、航空会社とは独立した調査機関、パイロット組合、さらに監督行政機関が、事故機の残骸やその他さまざまな証拠をくまなく調査する。事故の調査結果を民事訴訟で証拠として採用することは法的に禁じられているため、当事者としてもありのままを語りやすい。こうした背景も、情報開示性を高めている一因だ。
調査終了後、報告書は一般公開される。報告書には勧告が記載され、航空会社にはそれを履行する責任が発生する。事故は、決して当事者のクルーや航空会社、もしくはその国だけの問題として受け止められるのではない。その証拠に、世界中のパイロットは自由に報告書にアクセスし失敗から学ぶことを許されている。かつて米第32代大統領夫人、エレノア・ルーズベルトはこう言った。
「人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます」