経営の新しいパラダイム

近年の戦略論には、心理学の影響を受けたものが出てきている。D・ゴールドマンは『EQ こころの知能指数』で、人間の学習や行動、対人関係に大きな役割を果たすのは「感情」であることを提示し、感情によって自らを奮起させる力が人生の成功に重要であるとした。さらに進んで『SQ 生き方の知能指数』では、対人関係や社会性に大きな影響を及ぼすことが判明した神経回路ミラー・ニューロンに触れ、これをもとにSQ(社会性の知能指数)という概念を唱えた。

あれこれ悩んだ末に下した決断が間違っていたこともあれば、「直感」で物事の本質を見抜くこともある。そのような事例を集めて紹介しているのが、マルコム・グラッドウェルの『第1感』だ。原題は「blink(ひらめき)」である。

経営戦略論からは、およそ縁遠い心理学の本を加えたのには、もちろん理由がある。『知識創造企業』は、P・F・ドラッカーの『ポスト資本主義社会』の流れを汲む。1993年当時、ドラッカーは政治、経済、社会などの領域で起こっている構造変化の意味を考察し、大転換の後に「知識社会」が来ることを予測した。そのドラッカーの思想を加味し、「知識創造」というコンセプトによって、新しい経営のパラダイムを提唱した。日本を代表する自動車や家電メーカーが、なぜ世界で成功したのかを「知識」という側面から分析した戦略論である。

「知」は個人の主観であり、個人の思いや信念である。知識創造とは、そうした個々別々の「知」を集めて、これを普遍に紡いで社会的に正当化していくダイナミック・プロセスということができる。それが、やがてはイノベーションを生み出すことになる。すなわち、イノベーションの本質とは、知識創造のプロセスそのものなのである。

身体、五感を駆使した直接体験で得た暗黙知は言語化しがたい。だが、何度も対話を繰り返すことで、そうした暗黙知を概念化(表出化)し、形式知に転換させることができる。この形式知を分析、モデル化して結合する。さらには、組織でこれを共有し、商品、サービス、ソフト、経験に具現化するという形で知識変換を図っていく。

そこで重要なのが、暗黙知と暗黙知が触れ合う「場」である。直接体験によって得た暗黙知は気づきの本質ともいうべき「直観」である。しかし、直観は人それぞれの主観にすぎない。この主観をかぎりなく客観に近づけるための「場」が必要なのだ。

例えば、本田技研工業の「ワイガヤ」は、そのための優れた場だ。ワイガヤとは、キャリアや年齢に関係なく誰でも自由に意見を述べ、議論する場のことである。そこで議論を尽くすことによって、本当の意味での対話と相互主観の創造性、前向きな思考が生まれる。